名乗なのり)” の例文
旧字:名乘
しかも海路を立ち退くとあれば、をつき止める事も出来ないのに違いない。これは自分一人でも、名乗なのりをかけて打たねばならぬ。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
竹の里人と名乗なのりを揚げ正式に歌壇の城門に馬を進めたのは三十二年の春であります、三十五年にはもう故人となったのですから
子規と和歌 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
紋所の詮議せんぎの最もやかましかったのは、足利時代から徳川時代へかけて、名乗なのりの半分を家人にやる慣習の行われた頃である。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
名乗なのり——と、ひと口にいうが、一度や二度の合戦をふんだくらいでは、しかも相手が相当な敵と知る場合など、思いのまま名乗声の揚げられるものではない。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのくずれが豊国へ入って、大廻りに舞台がかわると上野の見晴みはらし勢揃せいぞろいというのだ、それから二にん三人ずつ別れ別れに大門へ討入うちいりで、格子さきで胄首かぶとと見ると名乗なのりを上げた。
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
他書には道意を泰道とし、道昌を泰昌とし、常善を昌忠とし、忠与を忠興とし、忠茂を忠武ちゆうぶとしてゐる。此中には道号と名乗なのりとの混同もあり、文字の錯誤もあるであらう。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
一刻も早く、道子夫人のところへ駈けつけて、名乗なのりをあげなければならない。
爆薬の花籠 (新字新仮名) / 海野十三(著)
清の名乗なのりは、勿論、恩師窪田清音すがねの一字。一刀一刀鍛つごとに、鉄へ切り込むたがねのごとく、その人を忘れまいとする彼の気持から選んだ名であることはいう迄もない。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
佐渡では今も村々を代表する選手があり名乗なのりを世襲し、会津の新宮権現でも、祭の日には村々の名を帯びた力士が出て、勝った村ではその年は仕合せしと信ぜられたこと
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
よしまた覚えているとしても——自分は卒然そつぜんとして、当時自分たちが先生に浴びせかけた、悪意のある笑い声を思い出すと、結局名乗なのりなぞはあげない方が、はるかに先生を尊敬する所以ゆえんだと思い直した。
毛利先生 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
善卿は初代瑞仙のあざなである。先祖書には何故か知らぬが、世々字を以て名乗なのりとしてある。瑞英善直の京水たることは、過去帖の宗経軒京水瑞英居士と歿年月日を同じくしてゐるのを見れば明である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
そう訊き直す彼の言葉が、度をはずしてふるえていたので、伊織は、自分の名乗なのりに誇りすら持って
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昔の人名は今とわずかの相違がある。またあの時代の貴族名乗なのりとも少し違うようである。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
さらに、非常な機嫌で、主従雑談の末、それまで名乗なのりを持たない、木下藤吉郎に
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
始めての原野に入り込んで開発する者は、名の区劃地に一々当てるだけの在来の地名を知らぬから、しばしば下受開墾人の名乗なのりをその地名に用い、国光名、利光名、徳富名、五郎丸名などとした。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)