初瀬はせ)” の例文
吉隠よなばり浪柴なみしば」は、大和磯城しき郡、初瀬はせ町の東方一里にあり、持統天皇もこの浪芝野なみしばぬのあたりに行幸あらせられたことがある。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
初瀬はせ春日かすがへの中休みの宇治での遊び心のような恋文こいぶみを送って来る程度にとどまり、こうした閑居をあそばすだけの宮として
源氏物語:48 椎が本 (新字新仮名) / 紫式部(著)
初瀬はせの方から多武たふみねへ廻つて、それから山越しで吉野へ出て、高野山へも登つて見たいよ。足の丈夫なうちは歩けるだけ方々歩いとかなきや損だ。
入江のほとり (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
初瀬はせの観音の流行仏であつたことも、またそこに参籠するものの多かつたことも、女が壺装束をして網代あじろ車に乗つて出かけて行つたことも、この初瀬への道程が三日路で
早春 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
東の方へは初瀬はせから宇陀、伊賀を越えて伊勢路へ通じ、西の方へは二上山を経て河内、大阪方面へ通じている。三輪のミヤコをまン中に、交通は四通八達していたらしい。
「いゝえ。皆東京のお方だす。大師講のお方で高野山に詣りやはつた帰りだすさうな。今日はこゝに泊りやはつてあした初瀬はせに行きやはるさうだす。今晩はおやかましうおますやろ」
斑鳩物語 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
「小泊瀬山」の「を」は接頭詞、泊瀬山、今の初瀬はせ町あたり一帯の山である。「石城いはき」は石で築いたかくで此処は墓のことである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
「まあ、私が初瀬はせでおこもりをしている時に見た夢があったのですよ。どんな人なのでしょう、ともかく見せてください」
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
わしが行った時は暑くって弱ったが、今度は花盛りに一度大和巡やまとめぐりをしたいな。初瀬はせから多武とうの峰へ廻って、それから山越しで吉野へ出て、高野山へも登ってみたいよ。
入江のほとり (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
どんな時にも初瀬はせの観音がついてあなたを守っておいでになりますからね、観音様はあなたをおあわれみになりますよ。
源氏物語:52 東屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
長谷はつせは今の磯城郡初瀬はせ町を中心とする地、泊瀬はつせ五百槻ゆつき五百槻いおつきのことで、沢山の枝あるけやきのことである。そこで、一首の意は、長谷はつせ(泊瀬)の、槻の木の茂った下に隠して置いた妻。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
小野の母と妹の尼が初瀬はせ寺に願がございまして参詣さんけいいたしました帰りに宇治の院という所に休んでおりますうちに、母の尼が旅疲れで発病いたしまして
源氏物語:56 夢の浮橋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「少しもございません。そんなことを考える必要はないと思います。私へ初瀬はせの観音様がくだすった人ですもの」
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「前常陸守ひたちのかみ様のお嬢様が初瀬はせのお寺へおまいりになっての帰りです。行く時もここへお泊まりになったのです」
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
今年になりましてから二月に初瀬はせ参りの時にはじめてお逢いすることになったのでございます。
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
そのころ比叡ひえ横川よかわ某僧都なにがしそうずといって人格の高い僧があった。八十を越えた母と五十くらいの妹を持っていた。この親子の尼君が昔かけた願果たしに大和やまと初瀬はせ参詣さんけいした。
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
あやにくにこんな時に大将からの使いが来たなら、家の中の人へどうまた自分は言うべきであろうと右近は思い、初瀬はせの観音様、今日一日が無事で過ぎますようにと大願を立てた。
源氏物語:53 浮舟 (新字新仮名) / 紫式部(著)
二月の二十日はつか過ぎに兵部卿ひょうぶきょうの宮は大和やまと初瀬はせ寺へ参詣さんけいをあそばされることになった。古い御宿願には相違ないが、中に宇治という土地があることからこれが今度実現するに及んだものらしい。
源氏物語:48 椎が本 (新字新仮名) / 紫式部(著)
なにも私はぜひ大将様のほうにと言うのではありません、どちらでもよろしゅうございますから、事が起こらずにこの問題が解決されますようにと、初瀬はせ、石山の観音様にも願を立てているのです。
源氏物語:53 浮舟 (新字新仮名) / 紫式部(著)