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准后
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じゅんごう
ふりがな文庫
“
准后
(
じゅんごう
)” の例文
むずかしい武家側とのはなしあいもまずついた結果なので、
准后
(
じゅんごう
)
の
廉子
(
やすこ
)
から女院、女房たちも、すべて一しょに下山することとなった。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
かつての、隠岐
遠流
(
おんる
)
の日には、佐々木道誉がその護送役だった。天皇、
准后
(
じゅんごう
)
、侍者の忠顕などを送って、出雲国まで付いて行ったことでもある。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
悲哭
(
ひこく
)
する廷臣をべつとすれば、わずかに、御生涯の
艱苦
(
かんく
)
をともにして来た
准后
(
じゅんごう
)
阿野廉子
(
あのやすこ
)
と、第七皇子の
義良
(
よしなが
)
十三歳のおふたりだけであったのだ。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
三位
(
さんみ
)
の
廉子
(
やすこ
)
や
准后
(
じゅんごう
)
づきの女房らが、そのたび
御座
(
ぎょざ
)
ノ
間
(
ま
)
のおあかりに風ふせぎの工夫をしては、
灯
(
とも
)
し直すが、つけると、またすぐ消されてしまう。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
が、やがて彼女は、みかどの寵幸が厚うなればなるほど、
准后
(
じゅんごう
)
の
廉子
(
やすこ
)
の監視がたえず身にそそがれているのに気づいた。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
しかし
賜謁
(
しえつ
)
は、上々の首尾で、義貞は身にあまる思いにくるまれ、さらにべつな庭では、
准后
(
じゅんごう
)
三位ノ
廉子
(
やすこ
)
にも
謁
(
えっ
)
した。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
はなはだしきは、天皇の
准后
(
じゅんごう
)
三位ノ
廉子
(
やすこ
)
すらも、
賄賂
(
わいろ
)
を好む方のおひとであると、執事船田ノ入道などは、職掌柄、たしかな筋から耳にいれていた。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いやこの忠顕だけに来たわけではない。
准后
(
じゅんごう
)
(
廉子
(
やすこ
)
)のおん許へも懇願の使いを出して、るる、
恭順
(
きょうじゅん
)
のこころを
陳
(
の
)
べ、前非を悔いておる
態
(
てい
)
なのだ」
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
わけて、俄に明るさの流れていたのは、
准后
(
じゅんごう
)
の一院やら、
女御
(
にょご
)
小女房
(
こにょうぼう
)
などの
密
(
ひそ
)
まっていた避難所だった。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
遥かに、信仰をよせている
他
(
ほか
)
、越前三位の妻
小宰相
(
こざいしょう
)
、
資賢
(
すけかた
)
の娘
玉琴
(
たまこと
)
、
信実
(
のぶざね
)
の
伯母人
(
おばびと
)
、三条の小川
侍従
(
じじゅう
)
の姫、花園
准后
(
じゅんごう
)
の侍女三河の
局
(
つぼね
)
、伊豆の走り湯の妙真尼など
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
もう
四十路
(
よそじ
)
にちかいはずの
准后
(
じゅんごう
)
ではあるが、
蠱惑
(
こわく
)
ともいえる
艶
(
えん
)
な美はどこにも
褪
(
あ
)
せていなかった。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
こういうなかに在って、たれよりも平静でいたのは
准后
(
じゅんごう
)
の
廉子
(
やすこ
)
であった。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“准后”の解説
准后(じゅごう)は、日本の朝廷において、太皇太后・皇太后・皇后の三后(三宮)に准じた処遇を与えられた者、またその待遇・称号。正式には准三宮(じゅさんぐう)といい、准三后(じゅさんごう)ともいう。准后は略称である。清和天皇外祖父の藤原良房に三宮に准じた待遇を与えたのを初例とし、江戸時代まで存続した。
(出典:Wikipedia)
准
常用漢字
中学
部首:⼎
10画
后
常用漢字
小6
部首:⼝
6画
“准”で始まる語句
准
准南子
准尉
准三后
准胝観音
准備
准安
准泗
准許
准三宮