准后じゅんごう)” の例文
むずかしい武家側とのはなしあいもまずついた結果なので、准后じゅんごう廉子やすこから女院、女房たちも、すべて一しょに下山することとなった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かつての、隠岐遠流おんるの日には、佐々木道誉がその護送役だった。天皇、准后じゅんごう、侍者の忠顕などを送って、出雲国まで付いて行ったことでもある。
悲哭ひこくする廷臣をべつとすれば、わずかに、御生涯の艱苦かんくをともにして来た准后じゅんごう阿野廉子あのやすこと、第七皇子の義良よしなが十三歳のおふたりだけであったのだ。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三位さんみ廉子やすこ准后じゅんごうづきの女房らが、そのたび御座ぎょざのおあかりに風ふせぎの工夫をしては、ともし直すが、つけると、またすぐ消されてしまう。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、やがて彼女は、みかどの寵幸が厚うなればなるほど、准后じゅんごう廉子やすこの監視がたえず身にそそがれているのに気づいた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし賜謁しえつは、上々の首尾で、義貞は身にあまる思いにくるまれ、さらにべつな庭では、准后じゅんごう三位ノ廉子やすこにもえっした。
はなはだしきは、天皇の准后じゅんごう三位ノ廉子やすこすらも、賄賂わいろを好む方のおひとであると、執事船田ノ入道などは、職掌柄、たしかな筋から耳にいれていた。
「いやこの忠顕だけに来たわけではない。准后じゅんごう廉子やすこ)のおん許へも懇願の使いを出して、るる、恭順きょうじゅんのこころをべ、前非を悔いておるていなのだ」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わけて、俄に明るさの流れていたのは、准后じゅんごうの一院やら、女御にょご小女房こにょうぼうなどのひそまっていた避難所だった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遥かに、信仰をよせているほか、越前三位の妻小宰相こざいしょう資賢すけかたの娘玉琴たまこと信実のぶざね伯母人おばびと、三条の小川侍従じじゅうの姫、花園准后じゅんごうの侍女三河のつぼね、伊豆の走り湯の妙真尼など
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もう四十路よそじにちかいはずの准后じゅんごうではあるが、蠱惑こわくともいえるえんな美はどこにもせていなかった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こういうなかに在って、たれよりも平静でいたのは准后じゅんごう廉子やすこであった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)