二長町にちょうまち)” の例文
下谷のあの辺には古道具屋が多いので、私は希望のぞみが希望だったから、二長町にちょうまちや柳盛座の芝居の看板の前には立ちません、若い時だから寒さには強い。
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
尋ねてまいりましたは下谷の二長町にちょうまちでげすが、勝五郎のすまっていた長屋は矢ッ張りございますんで、お両人ふたりはヤレよかったと喜び、台所口からのぞいて見ると
抱沖はその子春沂しゅんきで、百俵寄合よりあい医師から出て父の職をぎ、家は初め下谷したや二長町にちょうまち、後日本橋にほんばし榑正町くれまさちょうにあった。名は尚真しょうしんである。春沂ののち春澳しゅんいく、名は尚絅しょうけいいだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
二長町にちょうまち五兵衛店ごへえだなで生れました。町内で訊いて下されば、まだ知ってる者がありましょう」
二長町にちょうまちの市村座へ行くのには、いつも電車通りからそばやの角を右へ曲ったが、あの芝居の前を真っ直ぐに柳盛座の方へ出る二三町ばかりの地面は、一度も蹈んだ覚えはなかった。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
元地の猿若町に最後まで踏み留まりし同座も、遂に下谷二長町にちょうまちに移転したるなり。舞台開きには左団次、小団次、米蔵、家橘、権十郎、秀調ら出勤。二番目の「松田の仇討」好評。
明治演劇年表 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
浅草下谷区内では○浅草新堀○御徒町忍川○天王橋かかりし鳥越川とりごえがわ白鬚橋しらひげばし瓦斯タンクの辺橋場のおもい川○千束町せんぞくまち小松橋かかりし溝○吉原遊郭周囲の鉄漿溝おはぐろどぶ○下谷二長町にちょうまち竹町辺の溝○三味線堀。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
美成、字は久卿きゅうけい北峰ほくほう好問堂こうもんどう等の号がある。通称は新兵衛しんべえのち久作と改めた。下谷したや二長町にちょうまちに薬店を開いていて、屋号を長崎屋といった。晩年には飯田町いいだまち鍋島なべしまというものの邸内にいたそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)