下諏訪しもすわ)” の例文
同行三人のものは、塩尻しおじり下諏訪しもすわから和田峠を越え、千曲川ちくまがわを渡って、木曾街道と善光寺道との交叉点こうさてんにあたるその高原地の上へ出た。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
すでに甲府出征中、下諏訪しもすわの陣所で、主人の光秀が、衆人のなかで耐えがたいはずかしめにったということは、家中全般、隠れもなく知ることであった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「昨夜、下諏訪しもすわへ入りました」
近藤勇と科学 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
やがて一行は木曾福島の関所を通り過ぎて下諏訪しもすわに到着し、そのうちの一部隊は和田峠を越え、千曲川ちくまがわを渡って、追分おいわけの宿にまで達した。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
一度和田の方へかかりながら武蔵がまた、足をめぐらして、下諏訪しもすわの入口へもどり、甲州街道と中山道のわかれに立って、思案にくれていると、その姿を見かけて来た宿場人足たちの声なのである。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
半蔵の手もとには、東山道軍本営の執事よりとして、大垣より下諏訪しもすわまでの、宿々問屋役人中へあてた布達がすでに届いていた。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
やがて彼は塩尻しおじり下諏訪しもすわから追分おいわけ軽井沢かるいざわへと取り、遠く郷里の方まで続いて行っている同じ街道を踏んで碓氷峠うすいとうげを下った。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「森さんのおかあさんが丹精たんせいしてくだすったごちそうもある——下諏訪しもすわの宿屋からとうさんのげて来た若鷺わかさぎもある——」
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
美濃の鵜飼うがいから信州本山もとやままでの間は尾州藩、本山から下諏訪しもすわまでの間は松平丹波守まつだいらたんばのかみ、下諏訪から和田までの間は諏訪因幡守いなばのかみの道固めというふうに。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ばばがなくなりましたおりにも、葬式のため郷里くにへ帰りまして、その帰り道に和田峠わだとうげというところを歩いて越し、下諏訪しもすわのほうへ出たこともありました。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
一行十三人、そのいずれもが美濃の平田門人であるが、信州下諏訪しもすわまで東山道総督を案内して、そこから引き返して来たのは、三日ほど後のことである。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
わたくし同様のものは、下諏訪しもすわの宿から一人ひとり、佐久郡の無宿の雲助が一人、和田の宿から一人、松本から一人、それに伊那の松島宿から十四、五人でした。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
私は同伴する人たちのことを思い、ようやく回復したばかりのような自分の健康のことも気づかわれて、途中下諏訪しもすわの宿屋あたりで疲れを休めて行こうと考えた。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ここには土居を築き土俵を積んで胸壁を起こすものがある。下諏訪しもすわから運ぶ兵糧ひょうろうでは間に合わないとあって、樋橋には役所も設けられ、き出しもそこで始まった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
和田峠合戦のあとをうけ下諏訪しもすわ付近の混乱をきわめた晩のことで、下原村の百姓の中には逃げおくれたものがあった。背中には長煩ながわずらいで床についていた一人の老母もある。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
下諏訪しもすわの宿へ行って日が暮れた時は、私は連れのために真綿まわたを取り寄せて着せ、またあくる日の旅を続けようと思うほど寒かった。——それをあによめにも着せ、姪にも着せ、末子にも着せて。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)