三右衛門さんえもん)” の例文
旧字:三右衞門
妹たちが来たとき弥生やよいはちょうど独りだった。良人おっと三右衛門さんえもんはまだお城から下らないし、与一郎も稽古所から帰っていなかった。
日本婦道記:風鈴 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
第二に治修はるなが三右衛門さんえもんへ、ふだんから特に目をかけている。かつて乱心者らんしんものを取り抑えた際に、三右衛門ほか一人ひとりさむらい二人ふたりとも額に傷を受けた。
三右衛門の罪 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
主人の三右衛門さんえもんは許してくれるでしょうが、番頭手代は、決して腹の中では、許してくれないだろうと——こう言うのです。
家に伝わった俳名三升さんしょう白猿はくえんの外に、夜雨庵やうあん、二九亭、寿海老人と号した人で、葺屋町ふきやちょうの芝居茶屋丸屋まるや三右衛門さんえもんの子、五世団十郎の孫である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
なかでもいちばん人気を呼んだものは、当日の結び相撲だったひでうら三右衛門さんえもんと、江戸錦えどにしき四郎太夫しろうだゆうの一番でありました。
「何は、三右衛門さんえもんは。」と聞いた。
朱日記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しかるに天保てんぽう四年みずのととし十二月二十六日のの刻すぎの事である。当年五十五歳になる、大金奉行おおかねぶぎょう山本三右衛門さんえもんと云う老人が、ただ一人すわっている。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
親をうしなった徳之助は、遠縁の増屋に引取られて養子分で、二十一まで働きましたが、増屋の主人三右衛門さんえもんの慈愛が深まるにつれて、朋輩ほうばい嫉妬やきもちが激しく、三百八十両の大金を失っても
治修は言葉を終らずに、ちらりと三右衛門さんえもんの顔を眺めた。
三右衛門の罪 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
狩谷棭斎、名は望之ぼうしあざな卿雲けいうん、棭斎はその号である。通称を三右衛門さんえもんという。家は湯島ゆしまにあった。今の一丁目である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
通称は三右衛門さんえもんである。六せいの祖重光ちょうこうが伊勢国白子しろこから江戸に出て、神田佐久間町に質店しちみせを開き、屋号を三河屋みかわやといった。当時の店は弁慶橋であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)