“やすはる”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
安治66.7%
資治33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
かねて清洲へ密行させておいた脇坂甚内安治やすはると蜂須賀彦右衛門正勝のふたりが、月の早々ここへ立ち帰っていた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たえず彼の側にある小姓組のうちでは、脇坂甚内安治やすはるの三十歳が年頭としがしらで、次が助作の二十八歳であった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、幸いなことに、その老母は、秀吉の家臣で、近ごろ世に評判されているしずたけ七本槍の勇士の一名、脇坂甚内安治やすはるの家に預けられていると人伝ひとづてに聞いている。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
片手をひざに垂れた時、や其の襖際に気勢けはいした資治やすはる卿の跫音あしおとの遠ざかるのが、しずかに聞えて、もとの脇廊下わきろうか其方そなたに、おごそか衣冠束帯いかんそくたいの姿が——其の頃の御館みたちさましのばれる——ふすま羽目はめから
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
一年ひととせ、比野大納言、まだお年若としわかで、京都御名代ごみょうだいとして、日光の社参しゃさんくだられたを饗応きょうおうして、帰洛きらくを品川へ送るのに、資治やすはる卿の装束しょうぞくが、藤色ふじいろなる水干すいかんすそき、群鵆むらちどりを白く染出そめいだせる浮紋うきもん
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)