“とうさい”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
搭載54.5%
当歳18.2%
董斎9.1%
当済9.1%
洞斎9.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
弦月丸げんげつまるには、めづらしく澤山たくさん黄金わうごん眞珠しんじゆとが搭載とうさいされてます、眞珠しんじゆ黄金わうごんとがおびたゞしく海上かいじやう集合あつまる屹度きつとおそたゝりがあります。
或日万作潮来へ網糸買いに往って、おそく帰って来たが、「それ土産だ」とふところから取出したのを見ると、当歳とうさいの美しい女の子だ。「どうしたんべい、此の孩児ねねっこは」
漁師の娘 (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
香以の子之助は少年の時けい北静廬きたせいろに学び、筆札を松本董斎とうさいに学んだ。静廬は子之助が十四歳の時、既に七十に達して、竹川町西裏町に隠居していた。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
諸持、鶴寿、花雪、交山は死して既に久しく、書家董斎とうさいの如きは、香以と同じ年の四月に死んでいる。狩野晏川かのうあんせん、河竹新七、其角堂きかくどう永機、竺仙、紫玉、善孝等はこのむれうちにいた。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しかし百余年前の文化三年に、笠利方かさりがたの名士当済とうさいという人が、舟をし同志をとものうて、って見てきたのは確かに今日の大東島であった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
間淵は、名さえ洞斎とうさいといいました。うちは祖父の代から医師なのを、洞斎本人は法津が目的で、勉強をするのは、能登では間に合わない。
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)