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せいけう
昭矦用て
相と
爲し、
内、
政教を
修め、
外、
諸矦に
應ずること十五
年、
申子の
身を
終るまで、
國治まり
兵彊く、
韓を
侵す
者無かりき。
申子の
學は、
(四二)黄老に
本づき、
(四三)刑名を
主とせり。
さて
夫よりは、
紀元節の
祝賀と、
此大なる
成功の
祝とで
沸くが
如き
騷ぎ、
夜になると、
兼て
設けられたる
海岸の
陣屋で
大祝賀會が
始まつた。
其塲の
盛况は
筆にも
言葉にも
盡されない。