“しりつ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
私立50.0%
嗣立16.7%
士栗16.7%
手術16.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
我(お)れが私立(しりつ)の寢(ね)ぼけ生徒(せいと)といはれゝばお前(まへ)の事(こと)も同然(どうぜん)だから、後生(ごせう)だ、どうぞ、助(たす)けると思(おも)つて大萬燈(おほまんどう)を振廻(ふりまわ)しておくれ、己(お)れは心(しん)から底(そこ)から口惜(くや)しくつて
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
徳川家定は八月二日に、「少々御勝不被遊(おんすぐれあそばされず)」ということであったが、八日には忽(たちま)ち薨去(こうきょ)の公報が発せられ、家斉(いえなり)の孫紀伊宰相慶福(よしとみ)が十三歳で嗣立(しりつ)した。家定の病は虎列拉であったそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
本(もと)稲村(いなむら)氏で漁村の門人となり、後に養われて子となったのである。文政七年の生(うまれ)で、抽斎の歿した時、三十五歳になっていた。栲窓は名を直寛(ちょくかん)、字(あざな)を士栗(しりつ)という。通称は安斎(あんさい)、後(のち)父の称安政(あんせい)を襲(つ)いだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「維康さんも蝶子のために、苦労して来やはった。維康さんの手術(しりつ)が味善(あんじょ)ういってくれたら、わては蝶子の顔見んと死んでも満足や」
わが町 (新字新仮名) / 織田作之助(著)