はら)” の例文
それでもころんだり、きたり、めくらめっぽうにはらの中をして行きますと、ものの五六ちょうも行かないうちに、くらやみの中で
安達が原 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
ここは、まちちかくにあった、はらっぱです。子供こどもたちが、なつ午後ごごたのしくボールをげたり相撲すもうをとったりしてあそんでいました。
僕はこれからだ (新字新仮名) / 小川未明(著)
翌日あすは茫漠たる那須野なすのはらを横断して西那須野停車場ステーション。ここで吾輩は水戸からの三人武者と共に、横断隊に別れて帰京の途に着いた。
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
何かのことに夜をかして、護持院ごじいんはらを帰るさ、うらみを含む他流の者が、三十人余り党を組んで待ち伏せ、いわゆる闇討やみうちを食った。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
同伴者つれ親類しんるゐ義母おつかさんであつた。此人このひと途中とちゆう萬事ばんじ自分じぶん世話せわいて、病人びやうにんなる自分じぶんはらまでおくとゞけるやくもつたのである。
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
杉原すぎはらではない、すいはらさ。御前はよく間違ばかり云って困る。他人の姓名を取り違えるのは失礼だ。よく気をつけんといけない」
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私は、山の方に上がってゆく静かな細い通りを歩いて、約束の、真葛まくずはらのある茶亭の入口のところに来てしばらく待っていた。
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
しかるに賢明なるはらたかし〕内相が熱心に画策されたる選挙法の改正が、この点にまで及ばざりしは甚だ遺憾とするところである。
選挙人に与う (新字新仮名) / 大隈重信(著)
日本西教史の幾ページをいろどる雲仙地獄の凄惨な物語りは、はら城の歴史と共に雲仙を訪れるものの、必ずや記憶によみがえるところであろう。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
さもなければ尊は高天たかまはらの外に刑余の姿を現はすが早いか、あのやうに恬然てんぜん保食うけもちの神を斬り殺す勇気はなかつたであらう。
僻見 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
見渡す限りというのも大仰だが、広い墓地です。大小の墓石が雑然として、なんとなく安達あだちはらの一角へでも迷い込んだような気持がする。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
きりふかい六ぐわつよるだつた。丁度ちやうどはら出張演習しゆつちやうえんしふ途上とじやうのことで、ながい四れつ縱隊じうたいつくつた我我われわれのA歩兵ほへい聯隊れんたいはC街道かいだうきたきたへと行進かうしんしてゐた。
一兵卒と銃 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
おなじやうに吹通ふきとおしの、裏は、川筋を一つ向うに、夜中は尾長猿おながざるが、キツキと鳴き、カラ/\カラと安達あだちはら鳴子なるこのやうな、黄金蛇こがねへびの声がする。
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
伝馬町の牢からお助けしなければならない。でなければ、おふたりはあすは小塚こづかはらで首をきられるのだよ——わかったかえ
幻術天魔太郎 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
ワカとは他府県の市子いちこ口寄せのことで、種々の予言をするものである。また、天狗てんぐについては名高い古峰こぶはらがあるも、ここには略しておく。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
拝啓益々御清適の段奉賀がしたてまつり候、その後『三田文学』御経営の事如何いかがに相成候や過日大倉書店番頭はらより他の事にて二回ほど書面これあり候ついで
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
慶長けいちょう五年九月十五日、東西二十万の大軍、美濃国みののくに不破郡ふわぐんせきはらに対陣した。ここまでは、どの歴史の本にも、書いてある。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
当時はむろんわびしい武蔵むさしはらで、旗本、小大名のお茶寮が三、四軒、ぽつりぽつりと森の中に見えるばかりといったような江戸郊外でしたから
妥女うねめはら小三こさんという三人姉妹の芝居があり、も一つ、鈴之助というのがあっただけで、これらは葭簀張よしずばりの小屋でございますから、まあ私どもが
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
金眸がひげちりをはらひ、阿諛あゆたくましうして、その威を仮り、数多あまた獣類けものを害せしこと、その罪諏訪すわの湖よりも深く、また那須野なすのはらよりもおおいなり。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
古峰こぶはらあたりもそのひとつです。那須野の黒羽くろばねの向うにある雲巌寺うんがんじなども世の塵の至らない別天地だと思ひます。
談片 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
過れば一望の原野開墾年々とし/″\にとゞきて田畑多しこれ古戰塲桔梗きゝやうはら雨持つ空暗く風いたはし六十三塚など小さき丘に殘れり當年の矢叫びときの聲必竟ひつきやう何の爲ぞ
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
当時公園の亭座敷ちんざしきに住む九里氏のもとへ早速相談に行った処、ここへ逃げて来てはという事になり、私は荷物一切車に積んで浅茅あさじはらへとのがれました。
楢重雑筆 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
ソコで御馳走は何かと云うと、豚の子の丸煮が出た。是れにもきもつぶした。如何どうだ、マア呆返あきれかえったな、丸で安達あだちはらに行たようなけだと、う思うた。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
地久節には、私は二三の同僚と一緒に、御牧みまきはらの方へ山遊びに出掛けた。松林の間なぞを猟師のように歩いて、小松の多い岡の上では大分わらびを採った。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「あの……先程さつき、若旦那様とご一緒に、自転車で戸山とやまはらを一と廻りするんだつて、出かけたやうでございます」
双面神 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
それをどこまでもいくと、ひろはらっぱへでました。そこはかすみうらのふちで、一面いちめん夏草なつくさがはえしげっています。夏草には夜露よつゆがしっとりとおりています。
あたまでっかち (新字新仮名) / 下村千秋(著)
などと互いに語りながら、桔梗ききょうはらも打ち越えて、次第に重なる山々谷々の、岨道そばみちを踏み分けて進むのであった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
殊更ことさらいまより可愛かわゆものさへ出來いでこんに二人ふたりなか萬々歳ばん/\ざいあまはらふみとゞろかし鳴神なるがみかと高々たか/″\とゞまれば、はゝ眼下がんか視下みおろして、はなれぬもの一人ひとりさだめぬ。
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
種山たねやまはらといふのは北上きたかみ山地のまん中の高原で、青黒いつるつるの蛇紋岩じゃもんがんや、硬い橄欖岩かんらんがんからできてゐます。
種山ヶ原 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
二人は、この一週間ばかり、毎日のように浮見うきみはらへ通い、博士が樽ロケットに乗って地上へ下りてくるのを待ちうけた。しかしいつも待ちぼうけであった。
ふしぎ国探検 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そのまよなか、列車はいませきはらのへんを走っていました。上段の野村さんは、ダイヤをいれた、まるい革のかばんをだくようにして、うとうとと眠っていました。
黄金豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
この室に落ちついて、浅茅あさじはらの向こうに見える若草山一帯の新緑(と言ってももう少し遅いが)を窓から眺めていると、いかにも京都とは違った気分が迫って来る。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
境内けいだい石碑せきひがあつて、慶長けいちょう五年せきはらえきの時に、山内一豊やまのうちかずとよがこゝに茶亭ちゃていを築いて、東海道をのぼつて来た徳川家康をもてなした古跡こせきであるといふことが彫刻されてゐる。
小夜の中山夜啼石 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
一六〇〇年、関ヶはらの一戦に大勝した徳川家康とくがわいえやすは、必然に、権力者となった。家康は、豊臣氏の権力を奪ったのではない。天皇の権力を奪ったのでは、もちろんない。
行方ゆくえも分かぬ、虚空こくう彼方かなたにぎらぎらと放散しているんだ。定かならぬ浮雲のごとくあまはら浮游ふゆうしているんだ。天雲あまぐもの行きのまにまに、ただ飄々ひょうひょうとただよっている……
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
道のべのいつしばはらのいつもいつも人の許さむことをしたむ 〔巻十一・二七七〇〕 作者不詳
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
「どこへ行くって、こんな安達あだちはらに毛のはえたようなところへ来て、どこへ行きようもないじゃないか。歌川一馬のうちへ行くにきまっているさ。君はそうじゃないのか」
不連続殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
京都の真葛まくづはら西行庵に小文こぶんさんといふ風流人がゐる。セルロイド製のやうな、つるつるした頭をした男で、そしてまたセルロイド製のやうに年中から/\笑つて暮してゐる。
大垣の商人らしき五十ばかりの男しきりに大垣の近況を語りせきはらいくさを説く。あたりようやく薄暗く工夫体こうふていの男甲走かんばしりたる声張り上げて歌い出せば商人の娘堪えかねてキヽと笑う。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
之れより上越の国界こくかいなる山脈の頂上を経過けいくわす、みやくくる所太平原たいへいげんあり、はらきて一山脈あり、之れをすぐれば又大平野あり、之れ即ちしん尾瀬おせが原にして、笠科山かさしなやまと燧山の間につらな
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
先ずあれにするには西京さいきょう真葛まくずはらの豆が一番上等です。大阪のあまさき辺の一寸豆いっすんまめもようございます。上州沼田辺の豆も大きいそうですが新豆のしたのなら一昼夜水へ漬けます。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
……ところが見てはいけないと云われるとイヨイヨ見たくてたまらなくなるのが『安達あだちはら』以来の人情だもんだから、呉青秀の子孫のうちにコッソリと、弥勒様の首を引き抜いて
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
妙義山麓みょうぎさんろく陣場じんばはらに集合した暴徒を指揮して地主高利貸警察署などをほふった兇徒の一人として、十年に近い牢獄生活を送り、出獄後は北海道の開墾に従事したり、樺太からふとへ往ったり
雨夜続志 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ねんばかりまへのことである、まちは、まだ赤色あかいろのリボンをかけた少女せうぢよですこやかに自由じいう身體からだで、いま現在げんざいのやうな未來みらいることなどは、ゆめにもおもふことなくクローバーのはら
追憶 (旧字旧仮名) / 素木しづ(著)
天地あめつち初發はじめの時、高天たかまはらに成りませる神のみなは、あめ御中主みなかぬしの神。次に高御産巣日たかみむすびの神。次に神産巣日かむむすびの神。この三柱みはしらの神は、みな獨神ひとりがみに成りまして、みみを隱したまひき
まはされ詮議せんぎありしかどもさら其行衞そのゆくゑ知れざるに付きつては立花左仲にても召捕めしとらんとこれまた探索たんさくありし處かの左仲は小金こがねはらにて切殺きりころされしと云ふことの知れしかば左仲はせんなし呉々くれ/″\も靱負を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
これは銀座通りとは少し離れていますが、今の精養軒の前は釆女うねめはらでした。俗にこれを海軍原と呼んで海軍省所属の原でしたが、ここで海軍省が初めて風船というものをげました。
銀座は昔からハイカラな所 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
切支丹の運命にとって致命的であったせきはらの決戦が済み、切支丹の最も有力な擁護者であった石田三成いしだみつなり小西行長こにしゆきなが黒田行孝くろだゆきたからが滅びうせて後は、元和げんな八年の五十五人虐殺を筆頭に
長篠の合戦に勝った徳川家康は、この機会に武田氏の勢力を駆逐すべく、軍をめぐらして二俣城ふたまたじょうを攻め、光明寺城を抜き、七月には諏訪すわはらじょうを陥しいれ、さらに高天神へとほこを向けた。
日本婦道記:萱笠 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)