風馬牛ふうばぎゅう)” の例文
唖のそのわたくしを人々は人外の生物に扱って呉れるのみならず、わたくしは唖の無感覚に於て環境を風馬牛ふうばぎゅうに眺め過せるのでした。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
父はわたしの教育のことには、ほとんど風馬牛ふうばぎゅうだったが、さりとてわたしを馬鹿ばかにするような真似まねは、ついぞしたことがない。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
冷然として古今ここん帝王の権威を風馬牛ふうばぎゅうし得るものは自然のみであろう。自然の徳は高く塵界を超越して、対絶の平等観びょうどうかん無辺際むへんさいに樹立している。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その事にまるで風馬牛ふうばぎゅうであったように、一向世の中のこと……世の中のことといっても世の中のことも種々いろいろありますが、今日でいえば美術界とか
彼等が復讐の挙を果して以来、江戸中に仇討が流行した所で、それはもとより彼の良心と風馬牛ふうばぎゅうなのが当然である。
或日の大石内蔵助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
故に近代の欧化した日本——果して真に欧化であるか?——に於ても、文壇の事情は同様であり、詩と散文とが風馬牛ふうばぎゅうで、互に何の交渉もなく、各自に別々な道を歩いている。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
そのまま引きさがって、勝治に向い、チベットは諦めて、せめて満洲の医学校、くらいのところで堪忍かんにんしてくれぬか、といまは必死の説服に努めてみたが、勝治は風馬牛ふうばぎゅうである。
花火 (新字新仮名) / 太宰治(著)
『浮雲』第三編が発表された『都の花』を請取った時は手がふるえたというほどの神経質にも似合わず、この時代は文壇的には無関心であって世間の毀誉褒貶きよほうへんは全く風馬牛ふうばぎゅうであった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
支那の少年金椎キンツイが説いて、駒井甚三郎ほどのものが解釈しきれなかった耶蘇やその教えというものも、この書物が是とも非とも教えていないではないか——そのほか、白雲はまだ風馬牛ふうばぎゅうではあるが
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
けれど圏内の一員たるかれにどうして全く風馬牛ふうばぎゅうたることを得ようぞ。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
おのれらの寄り集ってこしらえている全部に対しては風馬牛ふうばぎゅうのごとく無頓着むとんじゃくであるとは、ゼームスが意識の内容を解き放したり、また結び合せたりして得た結論である。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
したがって、君があの女と結婚する事は風馬牛ふうばぎゅう
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)