頓才とんさい)” の例文
唯、明治・大正の新短歌以前は、その発生の因縁からして、かけあい・頓才とんさい問答・あげ足とり・感情誇張・劇的表出を採る癖が離れきらないで居た。
歌の円寂する時 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
下し置れける是ひとへ住持ぢうぢ祐然いうねん發明はつめい頓才とんさいの一言に依て末代まつだい寺號じがうかゞやかせり且又見知人として出府せし甚左衞門善助の兩人へは越前守より目録もくろく其外の品々を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
この話の頓才とんさいある者の発明であることは認められるが、もしそうならば「沓手掛けたか」の物語が既に出来た後、どうしてまたその同じ古い形を追おうとしたのか。
中にも良三の父は神田松枝町まつえだちょうに開業して、市人に頓才とんさいのある、見立みたての上手な医者と称せられ、その肥胖ひはんのために瞽者こしゃ看錯みあやまらるるおもてをばひろられて、家は富み栄えていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
格式に拘泥こうでいしない自由な行き方の誹諧であるのか、機知頓才とんさいろうするのが滑稽であるのか、あるいは有心無心の無心がそうであるのか、なかなか容易には捕捉し難いように見える。
俳諧の本質的概論 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
また吉原に往った時に呼ばれたものは都有中うちゅうおなじく権平、同米八、清元千蔵、同仲助、桜川寿六、花柳鳴助等である。中にも有中は香以がその頓才とんさいを称して、常にかたわらに侍せしめた。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)