防人さきもり)” の例文
殊に『万葉集』巻十四の東歌あずまうたおよび巻二十の防人さきもりの歌において例外が取分け多いのでありますが、私の見る所では、これは東国の言語で
古代国語の音韻に就いて (新字新仮名) / 橋本進吉(著)
要するに、筑紫のくさわけでもあり徹底した防人さきもり精神のうえにその家風も弓矢も伝承してきた菊池家だった。いわれのないわけではない。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは家持作だが、天平勝宝七歳三月三日、防人さきもり撿校けんぎょうする勅使、ならびに兵部使人等、ともつどえる飲宴うたげで、兵部少輔大伴家持の作ったものである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
防人さきもり道に在って身死せば、便に随い棺を給して焼き埋めよとかいう類これである。
また顧みぬ防人さきもり
新頌 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
ここは外夷に、屋島は内海の乱に、常時、防人さきもりだんがおかれていたものであろう。だから壇ノ浦のそばには火山ひのやま(のろし山)の名もある。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昔年さきつとし防人さきもりの歌という中にあるから、天平勝宝七歳よりもずっと前のものだということが分かる。またこれは防人の妻の作ったもののようである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
日月のはた、五色の御旗、ゆるやかに春風のなぶる下には、なお御親衛の弓、ほこをたずさえる防人さきもりの隊伍が、花園の花のように揃っていた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家じゅう大騒ぎして私が旅立ったら、妻はさぞ歎き悲しむことだろう、というので、代匠記以来、防人さきもりなどに出立の時の歌ででもあろうかといっている。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
滝口にも、古くから、防人さきもりとか、健児こんでいなどの、諸国の壮丁が詰めていた。御所内の滝口に兵舎があるので、滝口の衛士えじとか、滝口の武者などという称呼が生れた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遠い上古じょうこには、防人さきもりと称され、つわものとみずから誇り、都につどう若者たちが歌ったという
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
建国のときの神則しんそく、天皇の兵は治安を守る防人さきもりであり、軍は国の御楯みたてであり、剣は我を磨き人を生かす愛ですらあった本質からわたくしにうごきみだれて、時には分離し、時には皇室を威嚇いかくするなど
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
愈〻いよいよ、大君の防人さきもりたる武士もののふの本道を意志につよめて、同時に
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御門みかどる われら防人さきもり
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)