長谷はつせ)” の例文
大長谷の若建わかたけの命長谷はつせ朝倉あさくらの宮にましまして、天の下治らしめしき。天皇、大日下の王が妹、若日下部の王にひましき。
天皇はつぎにはまたあるとき、その長谷はつせにあるももえつきという大きな、大けやきの木の下でお酒宴さかもりをおもよおしになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
長谷はつせ五百槻ゆつきもとかくせるつまあかねさしれる月夜つくよひとてむかも 〔巻十一・二三五三〕 柿本人麿歌集
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
それから天皇がご還幸かんこうになるときには、大神おおかみはわざわざ山をおりて、遠く長谷はつせの山の口までお見送りになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
同母弟いろせ長谷はつせの王子のために、坂本さかもとおみ等がおやの臣を、大日下おほくさかの王のもとに遣して、詔らしめたまひしくは
長谷はつせは今の磯城郡初瀬はせ町を中心とする地、泊瀬はつせ五百槻ゆつき五百槻いおつきのことで、沢山の枝あるけやきのことである。そこで、一首の意は、長谷はつせ(泊瀬)の、槻の木の茂った下に隠して置いた妻。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
ヲハツセノワカサザキの命(武烈天皇)、大和の長谷はつせ列木なみきの宮においでになつて、八年天下をお治めなさいました。この天皇は御子がおいでになりません。
(御名は衣通の王と負はせる所以は、その御身の光衣より出づればなり。)次に八瓜やつりの白日子の王、次に大長谷はつせの命、次にたちばなの大郎女、次に酒見さかみの郎女九柱。
そこでその一言主の大神も手を打つてその贈物を受けられました。かくて天皇のお還りになる時に、その大神は山の末に集まつて、長谷はつせの山口までお送り申し上げました。
長谷はつせの天皇として、傳説上の英雄となつておいでになつたのである。——