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豪邁
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ごうまい
ふりがな文庫
“
豪邁
(
ごうまい
)” の例文
天資
豪邁
(
ごうまい
)
、将来この地において我らの統率者たるべき英偉の資質をもってこの
夭折
(
ようせつ
)
を見たることは我らの痛嘆措かざるところ
ウニデス潮流の彼方
(新字新仮名)
/
橘外男
(著)
豪邁
(
ごうまい
)
、英気、また
稀
(
ま
)
れなほど御自尊のつよい天皇ではあらせられたが、ときにより御反省もなくはない——。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と
咽喉
(
のど
)
が裂けるほどの声で歌い出しました。これは創作でもなければ、出任せでもない。故郷の荒廃を見て、
豪邁
(
ごうまい
)
なる感傷を歌った千古不滅の歌であります。
大菩薩峠:26 めいろの巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
徂徠は
林羅山
(
はやしらざん
)
出でて後幕府の指定した宋儒朱氏程氏の学説に疑を抱きこれを排斥して専ら
明
(
みん
)
の復古学を主張し、その才学と
豪邁
(
ごうまい
)
の気性とは
能
(
よ
)
く一世を
風靡
(
ふうび
)
するに至った。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
しかしてかの封建の人民はいかに雄才
豪邁
(
ごうまい
)
の人物といえどもほとんど青雲の道は遮断せられたり。
将来の日本:04 将来の日本
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
▼ もっと見る
また、われわれが死期に際し、自ら臨終のきたるを知り、兄弟、妻子に永別を告ぐるに当たりては、いかなる
豪邁
(
ごうまい
)
の士も人生のはかなきを感じ、世事の非なるを知り、必ず迷い出すに相違ない。
通俗講義 霊魂不滅論
(新字新仮名)
/
井上円了
(著)
上書は、
降
(
こう
)
をお
勧
(
すす
)
めするこころでは書いたものだ。しかし、山上の
皇
(
きみ
)
にも御体面というものがある。わけて
豪邁
(
ごうまい
)
なる後醍醐のきみ。
不遜
(
ふそん
)
な文言はことをこわす。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
天地人間
(
てんちじんかん
)
の静かなことは一層静かで、これも豊太閤の
豪邁
(
ごうまい
)
なる規模をそのまま残すところの、
桁行
(
けたゆき
)
十七間、
梁行
(
はりゆき
)
十四間半の大本堂の屋の棟が、三寸低く沈む時分になると、鼓楼の下から
大菩薩峠:37 恐山の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
近頃四谷に
移住
(
うつりす
)
みてよりはふと
東坡
(
とうば
)
が酔余の
手跡
(
しゅせき
)
を見その
飄逸
(
ひょういつ
)
豪邁
(
ごうまい
)
の筆勢を
憬慕
(
けいぼ
)
し
法帖
(
ほうじょう
)
多く
購求
(
あがないもと
)
めて
手習
(
てならい
)
致しける故
唐人
(
とうじん
)
が
行草
(
ぎょうそう
)
の書体訳もなく
読得
(
よみえ
)
しなり。何事も日頃の心掛によるぞかし。
矢はずぐさ
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
当時、阿波の御領主は、有名な
義伝公
(
ぎでんこう
)
で、あのとおり
豪邁
(
ごうまい
)
で、徳川家に楯をついたお方——天草の余党はあの君のお情けで、阿波の奥地へ棲むようになりました。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかし、
豪邁
(
ごうまい
)
なる天皇をお父ぎみに持った御不幸といってもよかろう。いじらしいお別れにみえたのは義良親王であった。
凡下
(
ぼんげ
)
の子なら遊びざかりの十二でしかない。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
豪
常用漢字
中学
部首:⾗
14画
邁
漢検1級
部首:⾡
16画
“豪邁”で始まる語句
豪邁不屈