蜒々えんえん)” の例文
さながら百足むかでの這うかのように蜒々えんえんたる一条の火の帯が南に向かって拡がり群がり、打ち鳴らす太鼓、吹き立てる貝、堂々として押して行く。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
門のそとに、コンクリート塀の高さと蜒々えんえんたる長さとを際立たせて、田舎の小駅にでもありそうなベンチがある。
乳房 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
彼方は蜒々えんえん雲に溶け入る抗愛山脈。寄せ手の軍馬の蹄が砂漠の砂を捲き上げ、紅塵万丈として天日昏し。
そうして、この蜒々えんえんとした武装の行列は、三つの山を昇り、四つの谷に降り、野を越え、森をつききって行ったその日の中に、二人の奴国の偵察兵を捕えて首斬くびきった。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
常陸ひたちの磯浜の海岸から、大利根の河口まで、蜒々えんえんとして連なる平沙二十里、これだけ続いている沙浜はどこにもなく、これだけ美しい弧線を描いている沙浜もほかには見出せない。
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
蜒々えんえんとしたなぎさを汽車はっている。動かない海と、屹立きつりつした雲の景色けしきは十四さいの私のかべのように照りかがやいて写った。その春の海を囲んで、たくさん、日の丸の旗をかかげた町があった。
風琴と魚の町 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
しかれども実にわが邦の地形はもっとも不同にして東北より西南に向かって蜒々えんえんとして一の蜻蜓形せいていけいをなし、山岳うちに秀で、河海外をめぐるがゆえに、その風土もおのずから適度の不同を得
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
秩父の山中から流れ出て、東京湾に流れ入る多那川は上流で早くから山岳地帯から離れ、武蔵相模平野の中を蜒々えんえんとして東南に向うので鷺町辺では地勢も地質もいろ/\な変化を見せています。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
蜒々えんえん山を越し谷を渡り、長蛇のように延びているのは、新築工事の城壁であったが、工なかばにして中絶したものである。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
木橋を境にして、九千人の従業員をもつモスクヷ第一の金属工場「鎌と鎚」が、蜒々えんえんと煉瓦壁をのばしている。
焼土ばかりのところを、蜒々えんえんただ一筋の細道が三斗小舎の方角に消えている淋しい行手。下の遠い山並。それらはじっと午後二時の太陽に照りつけられている。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
すなわち蜒々えんえんたる魚鱗の備えが、ポツリポツリと千切れたかと思うと、一段二段三段四段、さながら梯子はしごを組み立てるがように、横一文字を縦に組み十二段まで畳んだものである。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
日本の陸軍が何十年か前の平面的戦術を継承して兵站線の尾を蜒々えんえんと地上にひっぱり、しかもそれに加えて傷病兵の一群をまもり、さらに惨苦の行動を行っているのにくらべて
それだけでも、四人の武士たちにとっては、意外のことだったのに、紙帳のおもてに、あるいは蜒々えんえんと、あるいはベットリと、あるいは斑々と、または飛沫しぶきのように、何物か描かれてあった。
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
やがてその蜒々えんえんたる列伍は、歴史的な時間の彼方に次第次第と遠のいて行った。
風知草 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
そうして谷はその一方では蜒々えんえんと連らなる岩壁によって他の裾野と境いをしさらに一方は富士によってあらゆる外界と交通を断ち、全然別個の新世界をここに開拓しているのであった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
西部西蔵の高原を一隊の隊商が列を作って、静かに蜒々えんえんと進んで行く。
喇嘛の行衛 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
もうそのあたりから、緑暗色の外見は実に陰鬱なコンクリートの高さ一丈、底辺の厚み三尺三寸とかいう高壁が蜒々えんえんと松の木の間、小丘の裾をうねりつづいて丁度野原の家の前の辺が正門になる由。
二列縦隊に蜒々えんえんと、東へ東へとあるいて行く。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)