禅定ぜんじょう)” の例文
旧字:禪定
そうしてその容貌の魁偉かいいにしていかにも筋骨のたくましきところは、ただその禅定ぜんじょうだけやって坐って居るような人と見えないほどの骨格の逞しい人で
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
この岸からの岸へ渡るのに、六つの行があるというのが、この六波羅蜜、すなわち六度です。布施と持戒と忍辱にんにく精進しょうじん禅定ぜんじょう智慧ちえがそれです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
その次の五百年は禅定ぜんじょうの時代で、解脱の時代ほど人間が素直でなくなりますから、座禅によって悟りを開く時代であります。以上の千年が正法です。
最終戦争論 (新字新仮名) / 石原莞爾(著)
なおこの頃に火定かじょう(自ら火を放って焼死すること)または禅定ぜんじょう(生きながら土中に埋り死ぬこと)なども行われているが、これは習俗ではなくして限られた人達の信仰ゆえ
本朝変態葬礼史 (新字新仮名) / 中山太郎(著)
弟を帰してから後で同族を集めて念仏をし、その翌日十六日に端座合掌して光明遍照の文を誦し、高声念仏一時間ばかり唱えて禅定ぜんじょうに入るが如くにして息絶えた。生年七十五。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
禅定ぜんじょうの神社はいうも更なり、日本北アルプスの槍ヶ岳や常念岳の連山にしてからが、石垣を積み、やぐらをあげ、層々たる天主閣をそびやかした松本城を前景に加うることなしに
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
種々の栄華の夢になっている時もある。それかと思うと、その頃碧巌へきがんを見たり無門関むもんかんを見たりしていたので、禅定ぜんじょうめいた contemplatifコンタンプラチイフ な観念になっている時もある。
カズイスチカ (新字新仮名) / 森鴎外(著)
減じたというものの、人の命が八万年でそれより一年も若くて死ぬ者なく、女人は五百歳でまさに嫁す。日に妙楽を受け、禅定ぜんじょうに遊ぶ事三禅の天人のごとく常に慈心ありて恭敬和順し一切殺生せず。
茶道は静慮じょうりょの世界であり禅定ぜんじょうの領域である。鑑賞もここに達すれば余すところがない。だが私たちは知識の時代に活きる。彼らが鑑賞において味わい得た世界を真理の問題にまで進めねばならぬ。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
禅定ぜんじょうのいたすところか、その徹底した猛撃は正に鬼神の如くである。
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そうして例のごとく呼吸を充分注意してなるべく自分の呼吸と外界と遮断しゃだんするような方法にして禅定ぜんじょうに入りました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
六度とは六波羅蜜はらみつのことで、布施ふせ(ほどこし)と持戒じかい(いましめ)と忍辱にんにく(しのび)と精進しょうじん(はげみ)と禅定ぜんじょう(おちつき)と般若はんにゃ(ちえ)でありますが、まえの五つは正しい実践であり
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
無論、その内容に於て言うのでなく、その形体の静坐寂寞の姿が、禅定ぜんじょうに入るもののように静かなのを見て評した言葉なのです。しかして今日今晩の祈りは、特にそれらしい静かなものです。
すなわち酒を飲み肉を喰い女色を愛しつつ禅定ぜんじょうを修めて、直ちに即身成仏じょうぶつすることが出来るのであるという。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)