目見めみえ)” の例文
目見めみえ以上、五百石以下の未決囚は揚座敷へ。お目見以下、御家人、僧侶、山伏やまぶし、医者、浪人者は、ひと格さがった揚屋へ入れられる。
顎十郎捕物帳:08 氷献上 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
その日は陸奥守に目見めみえをせず、柴田外記と二人だけで、深更まで密談した。翌日、志摩は板倉邸へ出頭し、内膳正ないぜんのかみの質問に答えた。
これと同時に抽斎は式日しきじつ登城とじょうすることになり、次いで嘉永かえい二年に将軍家慶いえよしに謁見して、いわゆる目見めみえ以上の身分になった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それから順造の前に来て、給金を二十円ほしい事と、二三日は目見めみえのつもりでいてほしいこととを断った。
幻の彼方 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
御咎おとがめもなく却て御目見めみえ仰付おほせつけられし事冥加みやうが至極しごく有難き仕合しあはせなり方ぢやう樣へ御願ひと申すは別儀べつぎにあらず私し主人儀無實の罪におちいり近々御所置に相成あひなるに付何卒御ころもの袖を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
それは目見めみえ以上の身分になったからは、今よりのち市中の湯屋にくことと、芝居小屋に立ち入ることとは遠慮するがよろしいというのであった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
側用人の浅利重太夫がそう発表し、諸士引見も略され、恩賞目見めみえも略された。恩賞目見というのは、孝子、節婦、篤農などを、城中に呼んで藩主が褒賞する。
若き日の摂津守 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
五百が山内家をことわって、次に目見めみえに往ったのが、向柳原むこうやなぎはらの藤堂家の上屋敷であった。例の考試は首尾好く済んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
本陣の鍋屋三右衛門なべやさんえもん定宿じょうやどで、銕太郎も少年時代から宿の者たちを知っていたが、泊って三日めの夜、藩主から慰労の酒肴しゅこうが出、目見めみえ以上の者が集まって酒宴をするうちに
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
此年の武鑑には目見めみえ医師のもとに「まき丁伊沢磐安」と載せてある。槇町まきちやうは即中橋の居をして言つたのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)