猿蓑さるみの)” の例文
こういうすしが、いつごろからあったものかわからないが、芭蕉ばしょうの『猿蓑さるみの』に、どうもこれではないかと思われるものが顔を出している。
かぶらずし (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
旭川、泊月に続いて『猿蓑さるみの』輪講のため三重史、大馬、涙雨、九茂茅、蘇城来り小句会。それより輪講に加はり午前一時頃帰船。
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
ただこの「春」と「炭俵」「猿蓑さるみの」等の中の歌仙とを対比して見ると、私はいかに前者がまだ幼稚で、いかに後者が洗練されているかに驚嘆するものである。
連句雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
中にも最も悪句少きは『猿蓑さるみの』(俳諧七部集の内)、『蕪村七部集』『蕪村句集』ぐらいなるべし。(『故人五百題』は普通に坊間ぼうかんに行はれて初学には便利なり)
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
たとへば「とても綺麗きれいだ」「とてもうまい」の類である。この肯定に伴ふ「とても」の「猿蓑さるみの」の中に出てゐることは「澄江堂雑記ちようかうだうざつき」(随筆集「百艸ひやくさう」のなか
澄江堂雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
以上は『猿蓑さるみの』の連句の発句脇句を取り出して、俳人の心の交遊の如何いかに花鳥風月を透して成されるかの一端を言ったのである。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
たとえば猿蓑さるみのの中の任意の一歌仙を取り上げ、その中に流動するわが国特有の自然環境とこれに支配される人間生活の苦楽の無常迅速なる表象を追跡するほうが
連句雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
肯定に伴ふ新流行の「とても」は三河みかはの国あたりの方言であらう。現に三河の国の人のこの「とても」を用ゐた例は元禄げんろく四年に上梓じやうしされた「猿蓑さるみの」の中に残つてゐる。
澄江堂雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
発句ほく案ずる事諸門弟題号の中より案じいだす是なきものなり、余所よそより尋来たずねきたればさてさて沢山成事なることなりといえり、予が云、我『あら野』『猿蓑さるみの』にてこの事を見出したり
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
その点においては「猿蓑さるみの」の選者として去来の兄弟分に当たる凡兆か、もしくはずっと下って天明時代の作家の方がより以上に適切かもしれないのであります。
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
兎に角僕は現在でもこの眼に万葉集を見てゐるのである。この眼に猿蓑さるみのを見てゐるのである。
僻見 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
猿蓑さるみの」や「炭俵」がナンセンスであり、セザンヌやルノアルの絵がナンセンスであり
映画雑感(Ⅱ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「初時雨猿も小蓑をほしげなり」という句については其角が「猿蓑さるみの」の序でこういうことを言っています。
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
連句における天然と人事との複雑に入り乱れたシーンからシーンへの推移の間に、われわれはそれらのシーンの底に流れるある力強い運動を感じる。たとえば「猿蓑さるみの」の一巻をとって読んでみても
映画時代 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
最後にもう一つ「猿蓑さるみの」で芭蕉去来きょらい凡兆ぼんちょう三重奏トリオを取ってみる。
連句雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)