物部もののべ)” の例文
是より先、欽明きんめい天皇の御代に伝へられた仏教に就いて、崇仏派の蘇我そが氏と排仏はいぶつ派の物部もののべ氏、中臣なかとみ氏との間に凄じい争闘が展開した
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
その一族が、すなわち物部もののべ族であって、「国造くにのみやつこ」として、大きな領土をもっていた。国造とは、地方にいた領主のことであった。
このニギハヤビの命がナガスネ彦の妹トミヤ姫と結婚して生んだ子がウマシマヂの命で、これが物部もののべの連・穗積の臣・采女うねめの臣等の祖先です。
仏教の流布に反対して亡ぼされた物部もののべ一族の領地領民をその経済的基礎としたものであるが、その当時の寺の組織として後代の縁起えんぎの語るところによると
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
蘇我そが物部もののべ両族の争いにとどまらず、穴穂部皇子あなほべのおうじ宅部皇子やかべのおうじの悲しむべき最期があり、物部氏の滅亡についで、ついには崇峻すしゅん天皇に対する馬子うまこ等の大逆すら起っている。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
ながめ千町せんちょう田面たのものみどりになびく風に凉みてしばらくいきをのぶとぞ聞えし又物部もののべおきな牛込うしごめにいませし頃にやありけん南郭なんかく春台しゅんだい蘭亭らんていをはじめとしてこのほとりの十五景を
ヒダの王様が大和へ進出する前に大和飛鳥に居た王様は物部もののべ氏でしたろう。これは四国の方から進出してきたもので、追われて後は、また四国の方と、伊豆や東国へと逃げた。
飛騨の顔 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
中臣なかとみ氏、斎部いむべ氏が、朝廷の祭祀をつかさどり、物部もののべ氏、大伴おほとも氏が武将として兵事に当り、弓削ゆげ氏が弓の製造に従事し、玉造たまつくり氏が玉の加工に当つたやうなものである。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
そこで物部もののべ荒甲あらかいの大連、大伴おおとも金村かなむらの連の兩名を遣わして、石井を殺させました。天皇は御年四十三歳、丁未ひのとひつじの年の四月九日にお隱れになりました。御陵は三島のあいみささぎです。
彼の生地、河内の弓削ゆげはたしかに物部もののべ氏の領地であった。
安吾史譚:02 道鏡童子 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
それは、物部もののべの大族と、蘇我そがの大族との抗争であった。
橿原宮の御即位の式には、大伴おほとも氏、久米くめ氏、物部もののべ氏の祖は、ほこを執つて、儀衛に任じ、斎部いむべ氏、中臣なかとみ氏の祖は、恭々しく御前に進み出て、祝詞を言上し奉つてゐる。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
かれ物部もののべ荒甲あらかひ大連おほむらじ大伴おほとも金村かなむらの連二人を遣はして、石井を殺らしめたまひき。