棟梁とうりやう)” の例文
もう一人はこの堂を建てた大工の竹次、二人とも五十前後、町人と棟梁とうりやうで肌合は違ひますが、物に間違ひのありさうもない人間です。
嫌ひ一向に構ひ付ず睾丸きんたまも釣方とやら私し共でも得心せぬ故長屋の泥工さくわん棟梁とうりやうは年頃といひ人も尊敬そんきやうする者なれば此者を以て勘太郎は店立たなだて
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
いけちん小座敷こざしきれうごのみで、その棟梁とうりやう一度いちど料理店れうりてん其處そこひらいたときのなごりだといた。
春着 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「不思議なことに、綱吉の野郎と、水茶屋のお常を張り合つて居る男に、露月町の大工の棟梁とうりやうで、辰五郎といふのがあるんだよ」
つぶし互ひに顏を見合せて少時しば言葉ことばなかりしが大膳は吉兵衞に向ひ我こそは赤川大膳とてすなはち山賊の棟梁とうりやうなりまたこれなるは藤井左京とて近頃此山中に來りて兄弟のえん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
棟梁とうりやう、二百が三ぼんだ。」
夜釣 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
「この家を建てた棟梁とうりやうに聽けば隱し場所は一番確かだが——なアにそんな手數をしなくたつても判るよ。八、その床の間の板を剥いで見な」
致されよ往々は家主の爲にもなるまじと申入たれば大にいかかへつて我々を追立おひたてんとなすゆゑ泥工さくわん棟梁とうりやう家主に異見して相濟あひすみし程の事もあれば馬喰町の隱居殺したるは勘太郎にちがひなしと申を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「東、大關は佐久間町の酒屋、丹波屋の伜清次郎、西の大關は棟梁とうりやう乙松の伜で辰三郎、東の大關は、米屋の下男で鶴吉——」
柏木かしはぎ棟梁とうりやうの家——死んだ藤兵衞の家の裏口のあたりに、ゆらりと動く人影、錢形平次の早い眼が、それを見付けたのです。
棟梁とうりやうにも毒酒を呑ませたのは、なんかの誤魔化しかも知れないぢやないか、——幸ひ主人萬兵衞は、酒が弱いので助かつたといふこともあるだらう
子刻こゝのつ(十二時)過ぎに根岸の棟梁とうりやうの家を出て申刻なゝつ(四時)過ぎには品川で多勢の仲間と落合ひ、何んにも知らずに江の島から鎌倉へ遊び廻つて居る。
「いえ、この鍵が、利いたので。棟梁とうりやうが廻すと、何んのわけもなくクルリと廻つて、あの錠前が開いてしまひました」
それから十日、棟梁とうりやう佐太郎の娘お萩といふのが、明神下の錢形平次の家へ、精一杯の心持で飛び込んで來たのです。
さすがに見事な構へで、二階座敷が大川へ乘り出してゐるところは、十何日か前の晩に、棟梁とうりやうの佐太郎と主人の萬兵衞が中毒騷ぎを起した座敷でせう。
根津の辰三郎といふ棟梁とうりやう、江戸一番といふ名人だ。その人に逢つて、紫御殿を拵へたのは親方かと訊いてくれ。
それにお前は、棟梁とうりやうのところで三兩借りて行つたぢやないか。それから、寅五郎を殺して刀を江戸川に投り込み、細川樣の飛脚ひきやくの振りをして、品川まで飛んだ筈だ。
「物干の手摺が腐つて危ないと言ふので、あれを取外したのは、四五日前でございます。明日にも新しいのを取付けてくれと、出入りの棟梁とうりやうに申してをりましたが——」
「ちよつと、鍵を拜借し度いと、棟梁とうりやうが申しますが、爺やの與八に見張らせて置きますから」
「それぢや、繪圖面は棟梁とうりやうの家で無くなつたに決つて居ります。早速末廣町へ參りませう」
小石川の正遠寺しやうをんじの山門の修覆に百兩の金を寄附した人があります、寺では大喜びで、早速出入りの棟梁とうりやうを呼んで、その寄進をした有徳人と、住職と三人、何彼と相談をすると
銭形平次捕物控:274 贋金 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
多勢の弟子職人の間には、棟梁とうりやうに叱られた者も、怨んで居るものもないとは限りませんが、その晩から朝へかけて、棟梁の部屋に入つた者も、神棚の下に近づいた者もありません。
露月町の棟梁とうりやう辰五郎は、その日のうちに友次郎の手に擧げられました。
まだ棟梁とうりやうの初三郎の家にゴロゴロして居る身分で、其處で訊くと
棟梁とうりやうの伜の辰が、近頃お前のところへ來るさうぢやないか」
定吉さん、御厩おうまや樣、それに棟梁とうりやうも、越後屋さんも——
續いて棟梁とうりやうの竹次は何んのたくみもなく