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栖鳳
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せいほう
ふりがな文庫
“
栖鳳
(
せいほう
)” の例文
画でいえば精々
栖鳳
(
せいほう
)
とか、
鴈治郎
(
がんじろう
)
程度の技巧的名人肌ではなかったか。西洋人の世界一は、口ぐせの場合が多いようだ。
世界の「料理王逝く」ということから
(新字新仮名)
/
北大路魯山人
(著)
この作品が出品された年は、恰度
栖鳳
(
せいほう
)
先生が、西洋から帰られた年でして、獅子の図が出品されました。
旧い記憶を辿つて
(新字旧仮名)
/
上村松園
(著)
それでも床の間に大阪から持って来た
栖鳳
(
せいほう
)
の
鮎
(
あゆ
)
の軸が掛っているのを見た。
細雪:02 中巻
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
栖鳳
(
せいほう
)
の懐中時計5・2(夕)
茶話:02 大正五(一九一六)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
例えば
大観
(
たいかん
)
、
栖鳳
(
せいほう
)
等のいわゆる新画は見誤らない程度の鑑定心眼を持っていても、ウンと昔に溯って三百年、五百年前の古書画とか、また千年も前の仏画、建造物となると
芸術的な書と非芸術的な書
(新字新仮名)
/
北大路魯山人
(著)
▼ もっと見る
栖鳳
(
せいほう
)
先生が西洋から帰へられて二、三年後大阪で博覧会が開かれた。其時先生は
羅馬
(
ローマ
)
古城趾真景を出品されたが、其年前後から栖鳳先生の塾で近郊写生旅行が繁々行はれた思ひ出がある。
写生帖の思ひ出
(新字旧仮名)
/
上村松園
(著)
白虎
(
びゃっこ
)
池の
菖蒲
(
しょうぶ
)
の生えた
汀
(
みぎわ
)
を行くところ、
蒼竜
(
そうりゅう
)
池の
臥竜橋
(
がりょうきょう
)
の石の上を、水面に影を落して渡るところ、
栖鳳
(
せいほう
)
池の西側の小松山から通路へ枝をひろげている
一際
(
ひときわ
)
見事な花の下に並んだところ、など
細雪:01 上巻
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
栖鳳
(
せいほう
)
の天井画7・21(夕)
茶話:02 大正五(一九一六)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
無理かも知れぬが、試みに画家に例えるならば、
栖鳳
(
せいほう
)
や
大観
(
たいかん
)
のうまさではない。
靫彦
(
ゆきひこ
)
、
古径
(
こけい
)
でもない。
芳崖
(
ほうがい
)
、
雅邦
(
がほう
)
でもない。
華山
(
かざん
)
、
竹田
(
ちくでん
)
、
木米
(
もくべい
)
でもない。
呉春
(
ごしゅん
)
あるいは
応挙
(
おうきょ
)
か。ノー。
河豚のこと
(新字新仮名)
/
北大路魯山人
(著)
この関雪さんの姿は明治三十六年頃と思いますが、
栖鳳
(
せいほう
)
先生の
羅馬
(
ローマ
)
の古城の屏風が出来ました年に、西山さんや五雲さんや塾の人が揃って上加茂あたりに写生に行った時の写生でございます。
座右第一品
(新字新仮名)
/
上村松園
(著)
無理かも知れぬが、試みに画家に例えるならば、
栖鳳
(
せいほう
)
や
大観
(
たいかん
)
の美味さではない。
靫彦
(
ゆきひこ
)
、
古径
(
こけい
)
でもない。
芳崖
(
ほうがい
)
、
雅邦
(
がほう
)
でもない。
崋山
(
かざん
)
、
竹田
(
ちくでん
)
、
木米
(
もくべい
)
でもない。
呉春
(
ごしゅん
)
あるいは
応挙
(
おうきょ
)
か。ノー。
河豚は毒魚か
(新字新仮名)
/
北大路魯山人
(著)
“栖鳳(
竹内栖鳳
)”の解説
竹内 栖鳳(たけうち せいほう、元治元年11月22日〈1864年12月20日〉- 昭和17年〈1942年〉8月23日)は、戦前の日本画家。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家である。帝室技芸員。第1回文化勲章受章者。
本名は竹内 恒吉(たけうち つねきち)。最初は棲鳳と号した。霞中庵の号もある。
(出典:Wikipedia)
栖
漢検準1級
部首:⽊
10画
鳳
漢検準1級
部首:⿃
14画
“栖”で始まる語句
栖
栖家
栖所
栖処
栖息
栖方
栖鶴軒
栖子
栖軽
栖遅