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そうこ
ふりがな文庫
“
操觚
(
そうこ
)” の例文
親類の子供もわたくしの家には寄りつかないようになっているから、今では結局
憚
(
はばか
)
るものはない。ただ
独
(
ひとり
)
恐る
可
(
べ
)
きは
操觚
(
そうこ
)
の士である。
濹東綺譚
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
それ故に同じ
操觚
(
そうこ
)
でも天下の
木鐸
(
ぼくたく
)
としての新聞記者を希望して、官報局を
罹
(
や
)
めた時既に新聞記者たらんとして多少の運動をもした位だから
二葉亭追録
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
た文の妙なるに
因
(
よ
)
る
歟
(
か
)
然
(
しか
)
り
寔
(
まこと
)
に其の文の巧妙なるには因ると
雖
(
いえど
)
も
彼
(
か
)
の圓朝の
叟
(
おじ
)
の如きはもと文壇の人にあらねば
操觚
(
そうこ
)
を
怪談牡丹灯籠:01 序
(新字新仮名)
/
坪内逍遥
(著)
私の記憶にして誤りなくんば癸亥大震災後、ようやくに文学というもの企業化し、全くのジャーナリズム王国築かれて
操觚
(
そうこ
)
世界へ君臨するようになって以来のこととおもう。
我が円朝研究:「怪談牡丹灯籠」「江島屋騒動」「怪談乳房榎」「文七元結」「真景累ヶ淵」について
(新字新仮名)
/
正岡容
(著)
大抵
操觚
(
そうこ
)
に長じていたから、矢野龍渓の『経国美談』、末広鉄腸の『雪中梅』、東海散士の『佳人之奇遇』を先駈として文芸の著述を競争し
四十年前:――新文学の曙光――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
▼ もっと見る
その二は既に高等専門の学業をも
卒
(
お
)
へ志
定
(
さだま
)
りて後感ずる事ありて小説を作るものなり。
桜痴福地
(
おうちふくち
)
先生は世の変遷に
経綸
(
けいりん
)
の志を捨て遂に
操觚
(
そうこ
)
の人となりぬ。
小説作法
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
二十
(
はたち
)
か二十一で一躍して数年以上の
操觚
(
そうこ
)
の閲歴を持つ先輩を乗越して名声を博し、文章識見共に当代の雄を以て推される
耆宿
(
きしゅく
)
と同格に扱われた。
美妙斎美妙
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
或人の話に現時
操觚
(
そうこ
)
を業となすものにして、その草稿に日本紙を用うるは
生田葵山
(
いくたきざん
)
子とわたしとの二人のみだという。亡友
唖々
(
ああ
)
子もまたかつて万年筆を手にしたことがなかった。
十日の菊
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
馬琴は二六時中、
操觚
(
そうこ
)
に没頭するか読書に耽るかして殆んど机に向かったぎりで家人と世間咄一つせず、叱言をいう時のほかは余り口を利かなかったらしい。
八犬伝談余
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
何という
凄惻
(
せいそく
)
の悲史であろう。同じ
操觚
(
そうこ
)
に携わるものは涙なしには読む事が出来ない。
八犬伝談余
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
夫までは殆んど道楽だった
操觚
(
そうこ
)
をしてプロフェッショナルとしても亦存在し得るような便宜を与えたのは日本の文芸の進歩を助くるに大に力があったのを何人も認めずにはおられぬだろう。
二十五年間の文人の社会的地位の進歩
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
九華は初めの中こそ新体詩を
捻
(
ひね
)
くって、
能
(
よ
)
く
妖怪
(
ばけもの
)
を持出すので新体詩壇の
李長吉
(
りちょうきつ
)
と同人間に称されていたが、高商卒業後は
算盤
(
そろばん
)
が忙がしくなって、
何時
(
いつ
)
の
間
(
ま
)
にか
操觚
(
そうこ
)
を遠ざかってしまった。
硯友社の勃興と道程:――尾崎紅葉――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
この
初陣
(
ういじん
)
の功名に乗じて続いて硯友社の諸豪と
轡
(
くつわ
)
を
駢
(
なら
)
べて二作三作と発表したなら三唖もまた必ず相当の名を成して
操觚
(
そうこ
)
の位置を固めたであろうが、性来の狷介と懶惰とズボラとが文壇にも累をなし
硯友社の勃興と道程:――尾崎紅葉――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
操
常用漢字
小6
部首:⼿
16画
觚
漢検1級
部首:⾓
13画
“操觚”で始まる語句
操觚者
操觚者流