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播磨灘
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はりまなだ
ふりがな文庫
“
播磨灘
(
はりまなだ
)” の例文
六挺の
櫓
(
ろ
)
は、ただちに
櫓声
(
ろせい
)
を揃えて波を切った。——
播磨灘
(
はりまなだ
)
を西南へ、潮流にも乗せて、その舟影は、みるまに海光のうちへうすれて行った。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
甚作どんの乗った船が小豆島を出て伊勢まで行くには鳴門海峡を通るか、
播磨灘
(
はりまなだ
)
から
明石
(
あかし
)
海峡を経て
紀淡海峡
(
きたんかいきょう
)
をぬけ、紀伊半島をぐるりと回って伊勢まで行っていたにちがいない。
暦
(新字新仮名)
/
壺井栄
(著)
だが、その前には、やがて
播磨灘
(
はりまなだ
)
の闇をひらいて、大きくさし昇る太陽の祝福が
燦
(
さん
)
としてあった。
茶漬三略
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
まもなく、東南は
播磨灘
(
はりまなだ
)
から水島灘の
碧
(
あお
)
を遠くのぞみ、北は
佐用
(
さよ
)
、
揖保
(
いいぼ
)
の山波を仰いでいた。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
……わけて尊氏の海上勢は、
播磨灘
(
はりまなだ
)
の風浪にさえぎられ、しょせん、
室
(
むろ
)
ノ
津
(
つ
)
は立ちえなかったにちがいない。……とすれば、はやくても、沖に影をみせるのは、あしたのことか
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
それらの商人は、敵国の毛利領の
哨海面
(
しょうかいめん
)
を
生命
(
いのち
)
がけで
冒
(
おか
)
して来て、
播磨灘
(
はりまなだ
)
の
室
(
むろ
)
の
津
(
つ
)
、その他の港へ、はいっている。秀吉はそれを諸将に斡旋して、金にかまわず購入させたのである。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この頃ようやく、夜が明けて、海道の松のすがたの一つ一つも鮮やかとなり、東の方、
播磨灘
(
はりまなだ
)
の水平線と横たわる
黎明
(
れいめい
)
の雲のあいだに、真ッ赤な
旭日
(
きょくじつ
)
が出陣の足なみを
祝
(
ことほ
)
ぐようにさし昇っていた。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
播磨灘
(
はりまなだ
)
の沿岸から三木に入る街道をも
封鎖
(
ふうさ
)
して、敵の糧道を
断
(
た
)
っておりますが、今日、つらつら敵の士気をながめ、地理を
按
(
あん
)
じてみますに、これはまだ少しも敵中の士気にこたえていないようです。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「ご覧なさい、
播磨灘
(
はりまなだ
)
の方が、ほんのり夜が白みかけました」
宮本武蔵:02 地の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
白い
夕星
(
ゆうずつ
)
が、いつか、
播磨灘
(
はりまなだ
)
の空をつつんでいた。
宮本武蔵:08 円明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“播磨灘”の解説
播磨灘(はりまなだ)は、瀬戸内海東部の海域。兵庫県南西部(旧播磨国)の南側に位置し、東は淡路島、西は小豆島、南は四国で区切られて西北部に家島諸島がある。
(出典:Wikipedia)
播
漢検準1級
部首:⼿
15画
磨
常用漢字
中学
部首:⽯
16画
灘
漢検準1級
部首:⽔
22画
“播磨”で始まる語句
播磨
播磨守
播磨屋
播磨国
播磨路
播磨公
播磨房
播磨鑑
播磨屋橋
播磨公弁円