撫養むや)” の例文
何はともかく、本土に近い海路の咽喉いんこう岡崎の港——撫養むや街道を駆けぬけて周馬を追い越し、そこできゃつを引っ捕えなければならぬ。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
凧にも随分大きなものがあって、阿波の撫養むや町の凧は、美濃紙みのがみ千五百枚、岡崎の「わんわん」という凧も、同じく千五百枚を張るのであるという。
凧の話 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
要求する権利が無いのであらうか?……けれど鶴子の可愛い今夜の応接振り? 兄様は撫養むやから帰つて来る筈で遂に帰ら無かつたが僕は却て満足した。
阿波の撫養むやという土地へ醤油を積んでいった日向丸は予定の日数を五六日もすぎてもまだ帰ってこないのであった。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
もと蜂須賀はちすか氏の城下町でありました。あるいは「阿波あわ鳴戸なると」で人々はもっと記憶するかも知れません。または撫養むやの有名な凧上たこあげでこの国を想い起す人もありましょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
堂宇は撫養むや川にのぞみ、これまで本院には大黄鼬おおてん棲息せいそくして、まれには人の目にもかかり、また川には大鼇おおがめの住み、陸に上がって鳴きしことありしとの怪談などもありしが、このごろに至り
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
撫養むやの浦曲に
花守 (旧字旧仮名) / 横瀬夜雨(著)
小形こがた法帖ほうじょうみたいに折り畳んであるので、サラリと押し開いてみると、竹屋卿がわらじがけで実地を写したものらしく、徳島城の要害から、撫養むや、土佐どまり
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八重がいよいよ今夜の汽船で撫養むやの方まで父をさがしに行くことになり、その道順や手だてを同じ船商売である近村の日の出丸の家へ聞きに行ったりした。そこへひょっこり重吉からの便りが来た。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
撫養むやの浦へ着船の節は、渭之津城いのつじょうへ寄るには及ばず、すぐ吉野川をさかのぼって、剣山つるぎさんの間者ろうへ二人の奴を送りこむよう。この大役、しかと申しつけたぞ」
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あの理智の澄んだ四国屋のお久良が、大阪表からつづらを首尾よく乗せただけで、阿波に到達した時の、より以上きびしい岡崎の船関ふなぜきや、撫養むやの木戸の厳重を、案じていない筈はない。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
撫養むや街道を真一文字に岡崎の船関へ。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)