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承久
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じょうきゅう
ふりがな文庫
“
承久
(
じょうきゅう
)” の例文
承久
(
じょうきゅう
)
ノ乱で、この佐渡へ流され給うた
順徳
(
じゅんとく
)
上皇の
黒木
(
くろき
)
ノ
御所
(
ごしょ
)
やら、日蓮上人が
氷柱
(
つらら
)
の内に幽居した塚原ノ三
昧堂
(
まいどう
)
などへも、
詣
(
まい
)
ってみた。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
承久
(
じょうきゅう
)
の乱にひとしくふしあわせな運命におあいなされた
後鳥羽
(
ごとば
)
、
土御門
(
つちみかど
)
、順徳の三帝を祭神として、いまはそこに
官幣中社
(
かんぺいちゅうしゃ
)
が建っているのだが
蘆刈
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
公家の階級は、
承久
(
じょうきゅう
)
の乱後、反抗の力を失って、好んで武士に
媚
(
こ
)
びた。粗暴な活気を保持していた大寺の僧兵も、武士階級の威圧によってようやくその
鋒先
(
ほこさき
)
を鈍らせた。
日本精神史研究
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
壬申
(
じんしん
)
ノ乱の
大海人
(
おおしあま
)
の
皇子
(
みこ
)
軍。木曾義仲の
寿永
(
じゅえい
)
の都入り。
承久
(
じょうきゅう
)
ノ
乱
(
らん
)
の北条勢と朝廷
方
(
がた
)
。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
思うに、地方の武士どもは、かつての
承久
(
じょうきゅう
)
ノ乱なるものを、今もなかなか忘れはおるまい。——あの乱で、宮方へ
与
(
くみ
)
した武族は、以後ことごとく、末代まで浮かばれぬ
破滅
(
はめ
)
に落ちてしもうた。
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
「大覚寺統は、亀山上皇を中心に、
承久
(
じょうきゅう
)
ノ
乱
(
らん
)
の怨みを報ぜんと計っている」
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
元々、西園寺家と北条氏とは、遠い
承久
(
じょうきゅう
)
の
乱
(
らん
)
いらいの深い因縁がある。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“承久”の意味
《固有名詞》
日本の元号の一つ。建保の後、貞応の前。1219年4月12日から1222年4月13日までの期間のこと。
(出典:Wiktionary)
承
常用漢字
小6
部首:⼿
8画
久
常用漢字
小5
部首:⼃
3画
“承”で始まる語句
承
承知
承諾
承引
承塵
承認
承合
承昭
承応
承禎