御厨みくりや)” の例文
家の子郎党二十余人を教導して同じく出家させて同行とし、酒長しゅちょう御厨みくりや小倉の村に庵室を建てて念仏伝道をしていた。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「——宗家のおん大事、今にあるか」とばかり、近くは佐野、御厨みくりや、あるいは田沼、葛生くずうの山奥からも、夜ッぴて城戸へ馳せつけて来る騒ぎだった。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ごまかしても、だめだ。……こりゃあ、鞴祭のき蜜柑じゃねえ、屋敷の御厨みくりや部屋からくすねてきたんだろう」
顎十郎捕物帳:07 紙凧 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
たゞ伊勢太神宮の御屯倉みやけを預かつて相馬御厨みくりやつかさであるに過ぎぬのであるに、父の余威をるとは言へ、多勢の敵に対抗して居られるといふものは、勇悍ゆうかんである故のみでは無い
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
「天照大神の御厨みくりや、右大将家の立て給いし日本第二のみくりや、今は日本第一なり」
それは、この近郷の御厨みくりやの渡辺某であると名のって、御寮人の茶席へも通り、主人の捨次郎のはなしも始終、熱心に聴いて帰った郷士の客にちがいない。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家の裏で——御厨みくりやの野武士をよんでくるぞ——と現にあいつが、おど文句もんくをいったことまでお聞かせすると、ウームそうかと、びっくりしたご様子でした
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この辺には、御所のお米を作る御田みたという名が残っていた。そして伊勢大神宮の御厨みくりやの土地でもあった。飯倉という地名も、そこから起ったのであろう。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また石井ノ柵にも、大葦原おおあしはらにも、守谷もりや御厨みくりやにも、彼の弟たちが、家人郎党を分かって、それぞれに定住した。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
去年こぞの暮、足利の御厨みくりやから伊勢の神宮へ、例年のみつぎあるを幸いに、その上納物の列に和殿を加えて、帰路をそっと、この都へ、立ち廻らせたものじゃった。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高氏の命で、ふたりに付いて来た足利家の侍、御厨みくりやノ伝次は、ひとり駈けて、妙厳寺みょうごんじの門内へ入って行った。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「だが、見ろ。父からの館も、門前町も、御厨みくりやの建物も、みな火や煙にくるまれている。退いてはせ、退いては襲せて来る敵に、こう防ぎ疲れてしまっては……」
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おらの知っている小父さんは、御厨みくりやの野武士で、千人も手下を持ってるんだから、その小父さんに来てもらって、こんな家、一晩で踏みつぶしてしまうからそう思ってろ
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「まア聞け。ともかく御厨みくりやノ伝次に駒を曳かせ、人見新助に弓持たせて、たつくち木戸の奉行ノ簿に、試合の申し出でをせんとまいッてみると、果たして、道誉が先に待っておった」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこへ、守谷に住んでいる御厨みくりや三郎将頼も、馬にムチを打って、駈けつけて来た。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この中に、十年前の一族の反逆者、御厨みくりやの渡辺天蔵がいたことであった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
都までは、御厨みくりやノ伝次が送ってくれた。そして伝次は鎌倉へすぐ帰った。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いちどは歌垣のやみまつりを見物にゆき、どこのたれとも得しれぬ年上の山家妻に引かれて宮の木暗こくらがりでちぎッたことと。また、も一つの体験は、御厨みくりやまきへ遠乗りに行った麦秋の真昼であった。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小幡おばた御厨みくりや科野しなの篠木しのき柏井かしわい秦川はたがわなどの各所に辺在して、各〻、上には頭目をいただき、武器馬具も盗みたくわえ、すわといえば、天下の稲を喰らい、領主なく国境なく、奔放野馬のごとく、また
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御厨みくりやノ伝次、お曳き申し上げたようです」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)