干戈かんくわ)” の例文
た又、我が父祖の国をして屈辱の平和より脱せむが為めに再び正義の名を借りて干戈かんくわを動かさしむるの時に立ち至らざるや否や。
渋民村より (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
なほ御四五跡をしたうて責討せめうてば、古郷ふるさとほとりは四六干戈かんくわみちみちて、四七涿鹿たくろくちまたとなりしよしを四八いひはやす。
で、武芝は返還をせまると、かへつて干戈かんくわそなへをしてぐわんとして聴かず、暴を以て傲つた。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
すべてそのころの歴史の局面は、遠く、ひろく、三韓の野山を包み、干戈かんくわつねに動きて止まず、任那の日本府また危からんとするの間に於て、悲壮なること、酸鼻なること、太だすくなしとせず。
松浦あがた (新字旧仮名) / 蒲原有明(著)
ちちしてはうむらず、ここ(二九)干戈かんくわおよぶ、かうけんや。
日露干戈かんくわを交へてまさに三えつ月、世上愛国の呼声は今ほとんど其最高潮に達したるべく見え候。吾人は彼等の赤誠に同ずるに於ていささかの考慮をも要せざる可く候。
渋民村より (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
翁いふ。吾主わぬし遠くゆき給ひて後は、夏のころより干戈かんくわふるひ出でて、里人は所々にのがれ、わかき者どもは軍民いくさびとに召さるるほどに、一四一桑田さうでんにはかに狐兎ことくさむらとなる。
検非違使けびゐしちやうの推問にうて、そして将門の男らしいことや、勇威を振つたことは、かへつて都の評判となつて同情を得たことと見える。然し干戈かんくわを動かしたことは、深く公より譴責けんせきされたに疑無い。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)