尾張をはり)” の例文
また尾張をはりの連が祖意富阿麻おほあま比賣に娶ひて、生みませる御子、大入杵おほいりきの命、次に八坂やさか入日子いりひこの命、次に沼名木ぬなきの入日賣の命、次に十市とをちの入日賣の命四柱。
尾張をはり停車場ステーシヨン乗組員のりくみゐん言合いひあはせたやうに、不残のこらずりたので、はこなかにはたゞ上人しやうにんわたし二人ふたりになつた。
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
その晩、熊井熊五郎は、尾張をはり樣御呉服所、日本橋二丁目の茶屋新四郎の奧へ押し入り有金八百兩をうばひ取つた上、歸り際の邪魔じやまをした、手代の甚三郎といふのを斬りました。
次に比古伊那許士別ひこいなこじわけの命、こは膳の臣が祖なり。比古布都押ひこふつおしまことの命、尾張をはりむらじ等が祖、意富那毘おほなびが妹、葛城かづらき高千那毘賣たかちなびめに娶ひて、生みませる子、味師内うましうち宿禰すくね、こは山代の内の臣が祖なり。
の國より針間はりまの國に到り、また追ひて稻羽いなばの國に越え、すなはち旦波たにはの國多遲麻たぢまの國に到り、東の方に追ひ𢌞りて、ちか淡海あふみの國に到り、三野みのの國に越え、尾張をはりの國より傳ひて科野しなのの國に追ひ