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呉春
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ごしゅん
ふりがな文庫
“
呉春
(
ごしゅん
)” の例文
その時自分は「岡田君この
呉春
(
ごしゅん
)
は
偽物
(
ぎぶつ
)
だよ。それだからあの
親父
(
おやじ
)
が君にくれたんだ」と云って
調戯
(
からかい
)
半分岡田を怒らした事を覚えていた。
行人
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
「南宗の」の句は、この作者月渓は画家としては有名な
呉春
(
ごしゅん
)
のことでありまして、従って南宗という言葉も出てきたことと考えられます。
俳句とはどんなものか
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
なるほど
指摘
(
してき
)
されて見ると、
呉春
(
ごしゅん
)
の小品でも見る位には思えるちょっとした美がある。小さな
稲荷
(
いなり
)
のよろけ鳥居が薮げやきのもじゃもじゃの
傍
(
そば
)
に見えるのをほめる。
野道
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
無理かも知れぬが、試みに画家に例えるならば、
栖鳳
(
せいほう
)
や
大観
(
たいかん
)
のうまさではない。
靫彦
(
ゆきひこ
)
、
古径
(
こけい
)
でもない。
芳崖
(
ほうがい
)
、
雅邦
(
がほう
)
でもない。
華山
(
かざん
)
、
竹田
(
ちくでん
)
、
木米
(
もくべい
)
でもない。
呉春
(
ごしゅん
)
あるいは
応挙
(
おうきょ
)
か。ノー。
河豚のこと
(新字新仮名)
/
北大路魯山人
(著)
(色彩に関する例を挙ぐれば春の木の芽の色を樹によつて染分けたるが如き、夜間燈火の映じたる樹を写したるが如き)絵画における彼の眼光は極めて高く、到底
応挙
(
おうきょ
)
、
呉春
(
ごしゅん
)
等の及ぶ所に非ず。
俳人蕪村
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
▼ もっと見る
先に来たのが
北山御房
(
きたやまごぼう
)
のわきの
蕪村
(
ぶそん
)
と
呉春
(
ごしゅん
)
の墓のあるという土地だった。
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
松山を御出立の前夜湊町の向井へおともして買っていただいた
呉春
(
ごしゅん
)
と
応挙
(
おうきょ
)
と
常信
(
つねのぶ
)
の画譜は今でも持っておりますが、あのお離れではじめて知った雑誌の名が『帝国文学』で
漱石氏と私
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
無理かも知れぬが、試みに画家に例えるならば、
栖鳳
(
せいほう
)
や
大観
(
たいかん
)
の美味さではない。
靫彦
(
ゆきひこ
)
、
古径
(
こけい
)
でもない。
芳崖
(
ほうがい
)
、
雅邦
(
がほう
)
でもない。
崋山
(
かざん
)
、
竹田
(
ちくでん
)
、
木米
(
もくべい
)
でもない。
呉春
(
ごしゅん
)
あるいは
応挙
(
おうきょ
)
か。ノー。
河豚は毒魚か
(新字新仮名)
/
北大路魯山人
(著)
呉春
(
ごしゅん
)
はしやれたり、
応挙
(
おうきょ
)
は真面目なり、余は応挙の真面目なるを愛す。
病牀六尺
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
“呉春”の解説
呉春(ごしゅん、 宝暦2年3月15日(1752年4月28日) - 文化8年7月17日(1811年9月4日))は江戸時代中期の絵師である。四条派の始祖。本姓は松村(まつむら)、名は豊昌(とよまさ)。字を裕甫、のち伯望(はくぼう)、通称を文蔵(ぶんぞう)、嘉左衛門。号には呉春のほかに月溪(げっけい)、可転(かてん)、允白(いんぱく)、存允白、孫石(そんせき)、軒号に百昌堂、蕉雨亭など。初期の画号・松村月渓も広く知られる。
(出典:Wikipedia)
呉
常用漢字
中学
部首:⼝
7画
春
常用漢字
小2
部首:⽇
9画
“呉”で始まる語句
呉
呉々
呉服屋
呉絽
呉竹
呉服店
呉服
呉淞
呉懿
呉公