別所べっしょ)” の例文
ここははり別所べっしょというところの山の奥の奥。谷合たにあい洞穴ほらあなへ杉の皮をき出して、鹿の飲むほどな谷の流れを前にした山中の小舎こや
『いいから、そう云ってお出でなさい。別所べっしょのお寿々すずが来ましたといえば、何を打ッちゃっても、飛んで出て来なけれやあならない義理合いがあるんだから』
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東京の周囲ことに武蔵の北半に多い別所べっしょという小部落の名などは、すでに『新篇風土記』にも注意せられているが、これは中央部に昔からあった別名や一色別納いっしきべつのう
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
彼の心には、父成親の行方だけが気にかかっていたのである。その成親は、備前びぜんの児島が港に近いという理由で、備前、備中の境、有木ありき別所べっしょという山寺に移された。
御当所名題なだいの地獄極楽活人形いきにんぎょう、作人の儀は、江戸の名人雲龍斎うんりゅうさい又六、——八熱八寒地獄、十六別所べっしょ、小地獄、併せて百三十六地獄から、西方極楽浄土まで一と目に拝まれる
これははり別所べっしょというところに住んでいて、表面は猟師、内実は追剥おいはぎを働いていた「鍛冶倉かじくら」という綽名あだなの悪党であります。
毛利をめぐ衛星えいせいとしては、播州に赤松あかまつ別所べっしょがあり、南部中国には宇喜多うきた、北部の波多野はたの一族などあって、その勢力圏せいりょくけんは、安芸あき周防すおう長門ながと備後びんご備中びっちゅう美作みまさか出雲いずも伯耆ほうき隠岐おき因幡いなば
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
事実においてその別符も社寺または領主の近親重臣輩の抱地かかえちになって百姓は依然として普通の重い下作料を出した。関東では九州のビュウに当る土地は皆別所べっしょと言う。武蔵などはことに多い。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)