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側衆
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そばしゅう
ふりがな文庫
“
側衆
(
そばしゅう
)” の例文
御用列以下の者は藩主のお
側衆
(
そばしゅう
)
としておともを仰せつかった者以外には絶対に上れないことになっているはずではないか。
大菩薩峠:29 年魚市の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
「それはそれは、昨夜のうちに、
側衆
(
そばしゅう
)
まで、仰せ置かれるとようございましたな。……殿には、
今暁
(
こんぎょう
)
、未明のうちに、もはやお立ちでございます」
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
老中がたは酒井(
雅楽
(
うた
)
)侯、稲葉(
美濃
(
みの
)
)侯、阿部(
豊後
(
ぶんご
)
)侯。またお
側衆
(
そばしゅう
)
、
久世
(
くぜ
)
(
大和
(
やまと
)
)侯であった。
樅ノ木は残った:01 第一部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
これは、ゆうべから里へ出て、敵の情勢をさぐって帰った勝頼の
側衆
(
そばしゅう
)
小原丹後
(
おはらたんご
)
が
息喘
(
いきせ
)
いて今朝告げて来たことである。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「おそれながら、お
側衆
(
そばしゅう
)
の耳には聞き苦しいこともあるかと存ぜられますが」
樅ノ木は残った:04 第四部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
▼ もっと見る
側衆
(
そばしゅう
)
の土屋右衛門が、
畏
(
かしこ
)
まって、夫人の側へ寄りかけると、夫人はにわかに、涙をはらって、良人の勝頼へ云った。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「五日まえのことです」と周防が云った、「
久世
(
くぜ
)
侯、御存じでしょうか、将軍家
側衆
(
そばしゅう
)
のひとりで、
大和守広之
(
やまとのかみひろゆき
)
と申され、綱宗さま御家督のときから、いろいろ便宜をはからって下さるのですが」
樅ノ木は残った:01 第一部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
甘糟
(
あまかす
)
三平は、
側衆
(
そばしゅう
)
まで取次ぎを申し出て、控えで湯など飲んでいたが、いつまでも沙汰がないので
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「侯は将軍家
側衆
(
そばしゅう
)
であった」
樅ノ木は残った:03 第三部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
と
側衆
(
そばしゅう
)
から、柳営諸所の
寄人
(
よりゅうど
)
だまりへふれわたされても、営中の、おもくるしいまでの緊張には、変化もなかった。ただ、華奢な一群の人員が激増しただけに過ぎない。
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
門徒方の僧へもらす
惧
(
おそ
)
れがあると殿へ告げたものは、たしかに光秀であると、弟の坊丸からも、ほかの
側衆
(
そばしゅう
)
からも聞いていましたので、きのうは、惟任どのが
出仕
(
しゅっし
)
されたのを幸いに
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
致仕
(
ちし
)
したひととはいえ三家の
長者
(
ちょうじゃ
)
、前副将軍
黄門
(
こうもん
)
である。
閣老
(
かくろう
)
や
側衆
(
そばしゅう
)
たりとも甚だしくあつかい難いのである。ことに
春雷一震
(
しゅんらいいっしん
)
のような畏怖をおぼえたのは大奥の
女人国
(
にょにんこく
)
だったにちがいない。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
出しぬけを喰った宿将や
側衆
(
そばしゅう
)
なども、狼狽を極めながら
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“側衆”の解説
側衆(そばしゅう)は、江戸幕府の役職のひとつ。御側衆(おそばしゅう)とも呼ばれた。
(出典:Wikipedia)
側
常用漢字
小4
部首:⼈
11画
衆
常用漢字
小6
部首:⾎
12画
“側”で始まる語句
側
側目
側女
側室
側面
側用人
側杖
側仕
側近
側役