“まさし”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
57.1%
14.3%
14.3%
14.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
大仏殿の二階の上には、千余人昇り上り、かたきの続くをのぼせじとはしをばひいてけり。猛火みやうくわまさし押懸おしかけたり。喚叫をめきさけぶ声、焦熱、大焦熱、無間むげん阿鼻あびほのほの底の罪人も、是には過じとぞ見えし。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
富士川氏所蔵の自筆本数種を見るに、細楷と行狎ぎやうかふと皆遒美いうびである。塩田まさしさんの談に、蘭軒は人に勧めて雲麾碑うんきのひを臨せしめたと云ふ。平生書に心を用ゐたものとおもはれる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
良子刀自所蔵の文書に、「明治五年七月東京第一大区十一小区東松下町三十七番地工部省七等出仕塩田真方寄留」の文がある。塩田良三りやうさんは既にまさしと改称して、工部省に仕へてゐた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
まさしの両親とも日本橋生れで、なくなった母親は山王様の氏子うじこ此家こちらは神田の明神様の氏子、どっちにしても御祭礼おまつりにははばのきく氏子だというと、魚河岸から両国のきわまでは山王様の氏子だったのが
毛利右馬頭うまのかみ殿にも、秀吉が存分の次第、御覚悟なされ候へば、日本の治、頼朝よりとも以来、いかでまさしるものあるべきや。よくよく御量見専用に候ふ。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)