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せんしう
尋ね出さんと又々
諸國へ手を
廻されけれ共靱負の
在家少しも知ず
其中西國へ
差出されたる
探索の者より靱負は
泉州堺にて
入水せしと云事を
「お心付きはございませんか、私と妹は、
泉州堺の住人、
祝圓之丞の娘——」
着しやうゆゑ江戸
表へも
注進ありしは必定なり然樣の所へ
空然々々と行見付られなば一大事我は
泉州堺に少々
知音有により彼方へ尋ね行身の落付を定めんと
覺悟なし我は三井寺を
見物なし
後より追付んとて
平馬願山と
袂を分ち
頓て
泉州堺を心指して行けるに日の中は世間を
憚るにより夜に入りて
伏見より
夜船に
打乘翌朝大坂八
軒屋へ着茲にて
緩々と休み日の
暮るを
二日の
眞夜中——せめて、たゞ
夜の
明くるばかりをと、
一時千秋の
思で
待つ——
三日の
午前三時、
半ばならんとする
時であつた。……