トップ
>
せつつ
ふりがな文庫
“せつつ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句
割合
摂津
60.0%
攝津
40.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
摂津
(逆引き)
万記録
(
よろづきろく
)
の内容は、松平
遠江守
(
とほたふみのかみ
)
の家来稲垣
左近右衛門
(
さこんゑもん
)
と云ふ者が、見聞した事を数度に主家へ注進した文書である。松平遠江守とは
摂津
(
せつつ
)
尼崎の城主松平
忠栄
(
ただなが
)
の事であらう。
大塩平八郎
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
書斎の
襖
(
ふすま
)
をあけて見ると、ゆうべ泊つた八人の
与党
(
よたう
)
、その
外
(
ほか
)
中船場町
(
なかせんばまち
)
の医師の
倅
(
せがれ
)
で
僅
(
わづか
)
に十四歳になる松本
隣太夫
(
りんたいふ
)
、
天満
(
てんま
)
五丁目の商人阿部
長助
(
ちやうすけ
)
、
摂津
(
せつつ
)
沢上江村
(
さはかみえむら
)
の百姓
上田孝太郎
(
うえだかうたらう
)
大塩平八郎
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
せつつ(摂津)の例文をもっと
(3作品)
見る
攝津
(逆引き)
上夜久野の驛を過ぎて、
但馬
(
たじま
)
の國に入つた。
攝津
(
せつつ
)
から
丹波
(
たんば
)
、丹波から丹後といふ風に、私達は三つの國のうちを通り過ぎて、但馬の和田山についた。そこは
播但線
(
ばんたんせん
)
の交叉點にもあたる。
山陰土産
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
小
(
ちひ
)
さな
時
(
とき
)
から
父
(
ちゝ
)
の
伴
(
とも
)
をして、
諸國
(
しよこく
)
を
歩
(
ある
)
いて
攝津
(
せつつ
)
の
國
(
くに
)
へ
來
(
き
)
た
時
(
とき
)
に、
酒飮
(
さけの
)
みの
父親
(
ちゝおや
)
は、
月
(
つき
)
を
捕
(
とら
)
へるのだといつて、
歌
(
うた
)
の
友
(
とも
)
だちなどが
止
(
と
)
めるのもきかずに、
池
(
いけ
)
の
中
(
なか
)
へをどり
込
(
こ
)
んで
死
(
し
)
にました。
歌の話
(旧字旧仮名)
/
折口信夫
(著)
せつつ(攝津)の例文をもっと
(2作品)
見る
検索の候補
せっつ
せつつの
せつゝ