摂津せつつ)” の例文
旧字:攝津
まして一晩逢ひでもすれば、——あの摂津せつつでも小中将こちゆうじやうでも、まだおれを知らない内は、男嫌ひで通してゐたものだ。
好色 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
堺の街はづれは即ち和泉の国端れになつて居る程に、和泉の最北端にあるのです。摂津せつつの国とは昔は地続きでしたが、今は新大和川しんやまとがはと云ふ運河が隔てになつて居ます。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
万記録よろづきろくの内容は、松平遠江守とほたふみのかみの家来稲垣左近右衛門さこんゑもんと云ふ者が、見聞した事を数度に主家へ注進した文書である。松平遠江守とは摂津せつつ尼崎の城主松平忠栄ただながの事であらう。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
書斎のふすまをあけて見ると、ゆうべ泊つた八人の与党よたう、そのほか中船場町なかせんばまちの医師のせがれわづかに十四歳になる松本隣太夫りんたいふ天満てんま五丁目の商人阿部長助ちやうすけ摂津せつつ沢上江村さはかみえむらの百姓上田孝太郎うえだかうたらう
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
大祓祭おほはらひまつり摂津せつつ住吉すみよし神社の神事の一つであることは、云ふまでもありませんが、その神輿みこし渡御とぎよさかひのお旅所たびしよへある八月一日の前日の、七月三十一日には、和泉いづみ鳳村おほとりむらにある大鳥おほとり神社の神輿の渡御が
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
昨夜は隠居と当主とのめかけの家元、摂津せつつ般若寺村はんにやじむらの庄屋橋本忠兵衛、物持ものもちで大塩家の生計を助けてゐる摂津守口村もりぐちむらの百姓兼質屋白井孝右衛門、東組与力渡辺良左衛門、同組同心庄司義左衛門しやうじぎざゑもん
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)