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頼宣
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よりのぶ
ふりがな文庫
“
頼宣
(
よりのぶ
)” の例文
「盟友、同志、雲の如く、その上、これは極内だが、御三家の俊傑、紀州
頼宣
(
よりのぶ
)
様、
秘
(
ひそ
)
かに御加担、近々事を挙げる運びになっている」
江戸の火術
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
祖父大納言
頼宣
(
よりのぶ
)
に似て、
剛毅
(
ごうき
)
で果断、しかし
丹生
(
にゅう
)
三万石の貧乏家来をひきいて、生涯を終るかにおもわれた彼。
大岡越前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
謀叛僧
文覚
(
もんがく
)
が
荒行
(
あらぎょう
)
をやった
那智
(
なち
)
の
大瀑
(
おおだき
)
が
永久
(
えいきゅう
)
に
漲
(
みなぎ
)
り落つ処、
雄才
(
ゆうさい
)
覇気
(
はき
)
まかり違えば
宗家
(
そうか
)
の天下を
一
(
ひと
)
もぎにしかねまじい
南竜公
(
なんりゅうこう
)
紀州
(
きしゅう
)
頼宣
(
よりのぶ
)
が虫を抑えて居た処
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
「
義直
(
よしなお
)
、
頼宣
(
よりのぶ
)
の両卿を、とりかわせ給うにより、先手
軍
(
いくさ
)
を始めることしばらく延引し、馬をば一、二町も退け、人々馬より下り、槍を手にし重ねての命を待つべし」
忠直卿行状記
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
それだのに木地師というような、いやしいいやしい漂泊民の郷へ、どうして単身入り込んだのだろう? 紀州
頼宣
(
よりのぶ
)
にしてからが、どうして送ってよこしたのだろう?
剣侠受難
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
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のみならず家康の
妾
(
しょう
)
お
万
(
まん
)
の
方
(
かた
)
も彼女の生んだ
頼宣
(
よりのぶ
)
のために一時は彼に年ごとに二百両の金を
合力
(
ごうりょく
)
していた。最後に直之は武芸のほかにも
大竜和尚
(
だいりゅうおしょう
)
の
会下
(
えか
)
に参じて
一字不立
(
いちじふりゅう
)
の道を修めていた。
古千屋
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
「
光殿
(
みつどの
)
、厚くお礼をいう」こういったのは紀州
頼宣
(
よりのぶ
)
、感慨深い表情である。
剣侠受難
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
偶々
(
たま/\
)
八代将軍吉宗は、紀州侯
頼宣
(
よりのぶ
)
の孫ではあるが、わづか三万石の領主から、宗家を嗣ぎ、更に将軍になつただけに、天成の英才であると共に、下情に通じ、家康創業の精神を以て、幕政の改革
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
紀州大納言
頼宣
(
よりのぶ
)
の孫、貞光の第三男、まだ一介の部屋住みだが、越前
丹生
(
にゅう
)
の地に三万石を領して、近年、将軍綱吉に謁見し、その人もなげな天性を愛顧されて、幼名源六を新之助と改め、
加冠
(
かかん
)
して
大岡越前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
之れは後年の話だが、徳川
頼宣
(
よりのぶ
)
がある時の話に
姉川合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
頼
常用漢字
中学
部首:⾴
16画
宣
常用漢字
小6
部首:⼧
9画
“頼宣”で始まる語句
頼宣卿