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鎌倉河岸
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かまくらがし
ふりがな文庫
“
鎌倉河岸
(
かまくらがし
)” の例文
夏の炎天
神田
(
かんだ
)
の
鎌倉河岸
(
かまくらがし
)
、
牛込揚場
(
うしごめあげば
)
の
河岸
(
かし
)
などを通れば、荷車の馬は馬方と共につかれて、
河添
(
かはぞひ
)
の大きな柳の木の
下
(
した
)
に居眠りをしてゐる。
水 附渡船
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
亥「何か土産を持って往きてえが何がいゝだろう、本所は酒がよくねえから
鎌倉河岸
(
かまくらがし
)
の
豐島屋
(
としまや
)
で酒を
半駄
(
かたうま
)
買って往こう」
業平文治漂流奇談
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
神田橋へ出て、まだ悟らずに
鎌倉河岸
(
かまくらがし
)
を
数寄屋橋
(
すきやばし
)
の方へ向いて急いで行ったことがある。
三四郎
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
塩町
(
しおちょう
)
から
大伝馬町
(
おおでんまちょう
)
に出る。本町を横切って、
石町河岸
(
こくちょうがし
)
から
龍閑橋
(
りゅうかんばし
)
、
鎌倉河岸
(
かまくらがし
)
に掛る。次第に人通が薄らぐので、九郎右衛門は手拭を出して
頬被
(
ほおかぶり
)
をして、わざとよろめきながら歩く。
護持院原の敵討
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
改
(
あらた
)
め見るに如何さま
女
(
をんな
)
の掛無垢を
冠
(
かぶ
)
りしは死人の
體
(
てい
)
なれば相違なき由にて
通
(
とほ
)
しけるこれより數寄屋橋御門へも此段相斷りそれより御
堀端
(
ほりばた
)
通りを行
鎌倉河岸
(
かまくらがし
)
まで來りたれば
先
(
まづ
)
此所にて駕籠を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
▼ もっと見る
半蔵は再び役所の門を
潜
(
くぐ
)
るまい、そこに集まる同僚の人たちをも見まいと思うほどのいらいらした心持ちで、
鎌倉河岸
(
かまくらがし
)
のところに黄ばみ落ちている柳の葉を踏みながら、
大股
(
おおまた
)
に歩いて行った。
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
今朝ほど、
鎌倉河岸
(
かまくらがし
)
へ風変りな死体が浮き上ったというから、南組が出役せぬうちに、後学のために見せてやろうと思って、それで、こうしてわざわざ迎いに来てやったのだわ、有難く心得ろ。
顎十郎捕物帳:03 都鳥
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
鎌倉河岸
(
かまくらがし
)
に、三月の雪が降って、茶いろのぬかるみに白い斑点があった。
元禄十三年
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
夏の炎天
神田
(
かんだ
)
の
鎌倉河岸
(
かまくらがし
)
、
牛込揚場
(
うしごめあげば
)
の河岸などを通れば、荷車の馬は
馬方
(
うまかた
)
と共につかれて、
河添
(
かわぞい
)
の大きな柳の木の
下
(
した
)
に居眠りをしている。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
“鎌倉河岸”の解説
鎌倉河岸(かまくらかし)は、東京都千代田区内神田1、2丁目にあった河岸である。
(出典:Wikipedia)
鎌
常用漢字
中学
部首:⾦
18画
倉
常用漢字
小4
部首:⼈
10画
河
常用漢字
小5
部首:⽔
8画
岸
常用漢字
小3
部首:⼭
8画
“鎌倉”で始まる語句
鎌倉
鎌倉殿
鎌倉舞
鎌倉彫
鎌倉迄
鎌倉宮
鎌倉山
鎌倉邊
鎌倉武士
鎌倉幕府