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道修町
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どしょうまち
ふりがな文庫
“
道修町
(
どしょうまち
)” の例文
春琴、ほんとうの名は
鵙屋琴
(
もずやこと
)
、大阪
道修町
(
どしょうまち
)
の薬種商の生れで
歿年
(
ぼつねん
)
は明治十九年十月十四日、墓は市内下寺町の
浄土宗
(
じょうどしゅう
)
の
某寺
(
ぼうじ
)
にある。
春琴抄
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
もし
道修町
(
どしょうまち
)
の薬屋の若旦那
新護
(
しんご
)
花嫁を迎へし喜びに祝の句を集めて小冊子となしこれを知人に配るとすれば風流の若旦那たるを失はず。
墨汁一滴
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
団さんは
道修町
(
どしょうまち
)
に御賢弟がいるので、田鶴子さん共々に其処へ引き取った。三輪さんは弁護士をしている叔父さんの家がお宿で
ぐうたら道中記
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
道修町
(
どしょうまち
)
のくすり
屋
(
や
)
にくまがとどいて、そのくすり
屋
(
や
)
の
主人
(
しゅじん
)
が、
適塾
(
てきじゅく
)
の
書生
(
しょせい
)
さんに、かいぼうをしてみせてもらいたいと、たのんできました。
福沢諭吉:ペンは剣よりも強し
(新字新仮名)
/
高山毅
(著)
熊の解剖それから又
或時
(
あるとき
)
には
斯
(
こ
)
う
云
(
い
)
う事があった。
道修町
(
どしょうまち
)
の
薬種屋
(
やくしゅや
)
に丹波か丹後から熊が来たと云う
触込
(
ふれこ
)
み。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
▼ もっと見る
道修町
(
どしょうまち
)
というところの建具屋へひとまず
草鞋
(
わらじ
)
をぬぎ、いまその世話で或る普請場へかよっていること、江戸とは違って人情は冷たいが、詰らぬ義理やみえはりがなく
柳橋物語
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
すぐに
道修町
(
どしょうまち
)
の薬種問屋へ雇われたが、無気力な奉公づとめに嫌気がさして、当時大阪で羽振りを利かしていた政商五代友厚の弘成館へ、書生に使うてくれと
伝手
(
つて
)
を求めて頼みこんだ。
勧善懲悪
(新字新仮名)
/
織田作之助
(著)
説いたが春琴も
道修町
(
どしょうまち
)
の町家の生れであるどうしてその辺にぬかりがあろうや極端に
奢侈
(
しゃし
)
を好む一面極端に
吝嗇
(
りんしょく
)
で
慾張
(
よくば
)
りであった。
春琴抄
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
綿貫の知ってる人に
道修町
(
どしょうまち
)
の薬屋の
番頭
(
ばんと
)
さんあるのん幸い、その本に書いたある処方に従うて、薬をもろて飲んだんやそうです。
卍
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
道修町
(
どしょうまち
)
の或る製薬会社の重役をしておいでになる、と、私の聞いたのはそれだけであるが、悪くなさそうな話なので、わたくしでお役に立ちますならお手伝いをさせて
戴
(
いただ
)
きますから
細雪:03 下巻
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
そうなってからでもそれで生計を立てたのではなく月々
道修町
(
どしょうまち
)
の本家から仕送る
金子
(
きんす
)
の方が
比較
(
ひかく
)
にならぬほど多額だったのであるが、彼女の
驕奢
(
きょうしゃ
)
と
贅沢
(
ぜいたく
)
とはそれでも支えきれなかった。
春琴抄
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
道修町
(
どしょうまち
)
なら此処からそう遠くない所であるのを思い、何がな適当な口実があれば会社の方へ訪ねて行って縁をつないで置きたい気がしたが、そう云えば昨日の席上で薬の話が出、幸子が
細雪:03 下巻
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
“道修町”の解説
道修町(どしょうまち)は、大阪府大阪市中央区の町名。現行行政地名は道修町一丁目から道修町四丁目。
(出典:Wikipedia)
道
常用漢字
小2
部首:⾡
12画
修
常用漢字
小5
部首:⼈
10画
町
常用漢字
小1
部首:⽥
7画
“道修”で始まる語句
道修
道修繕