軍艦奉行ぐんかんぶぎょう)” の例文
木村芥舟先生は旧幕府きゅうばくふ旗下きかの士にして摂津守せっつのかみと称し時の軍艦奉行ぐんかんぶぎょうたり。すなわち我開国かいこくの後、徳川政府にてあらた編製へんせいしたる海軍の長官ちょうかんなり。
と、諭吉ゆきちはつてをもとめて、はじめてあった幕府ばくふ軍艦奉行ぐんかんぶぎょう木村摂津守喜毅きむらせっつのかみよしたけに、しんけんにたのみこんでいました。それは、安政あんせい六(一八五九)ねんふゆのあるのことでした。
すなわち紹介しょうかいを求めて軍艦奉行ぐんかんぶぎょうやしき伺候しこうし、従僕じゅうぼくとなりて随行ずいこうせんことを懇願こんがんせしに、奉行はただ一面識いちめんしきもと容易たやすくこれをゆるして航海こうかいれつに加わるを得たり。
それにのりこむのは、軍艦奉行ぐんかんぶぎょう木村摂津守喜毅きむらせっつのかみよしたけです。
しこうしてその利益はすなわち木村軍艦奉行ぐんかんぶぎょう知遇ちぐうたまものにして、ついわするべからざるところのものなり。芥舟先生は少小より文思ぶんしみ、また経世けいせいしきあり。常に筆硯ひっけんを友としておいの到るを知らず。