腥膻なまぐさ)” の例文
中間法師とは課役を避けて出家した私度の僧の徒で、家に妻子を蓄え口に腥膻なまぐさくらうという在家法師、すなわち非人法師の亜流である。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
かれはどつかりすわつた、よこになつたがまた起直おきなほる。さうしてそでひたひながれる冷汗ひやあせいたが顏中かほぢゆう燒魚やきざかな腥膻なまぐさにほひがしてた。かれまたあるす。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
「家に妻子を蓄へ、口に腥膻なまぐさくらふ」とあって、すなわち肉食妻帯の在家法師であり、その「形は沙門に似て、心は屠児えとりの如し」
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
かれはどっかりすわった、よこになったがまた起直おきなおる。そうしてそでひたいながれる冷汗ひやあせいたが顔中かおじゅう焼魚やきざかな腥膻なまぐさにおいがしてた。かれはまたあるす。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
彼らの多くはやはり家に住いして、妻子をたくわえ、口に腥膻なまぐさを喰うの徒だとありまして、在家の破戒法師であったのです。
彼らは家に妻子を蓄え、口に腥膻なまぐさくらい、私に髪を剃りみだりに法服をつけて、形は沙門の如きも心は屠児すなわちエトリに似たものであると云っている。
牛捨場馬捨場 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
これらの徒は、むろん法師ではありながらも、如法の僧侶ではない。清行のいわゆる「家に妻子を蓄へ、口に腥膻なまぐさを啖ふ、形は沙門に似て、心は屠児の如し」
口に腥膻なまぐさを食い、形は沙門の如く心は屠児の如しとまで罵っているが、彼らの中にも真に仏門に帰して、如法の修行をしょうじたものの少くなかったことを疑わぬ。
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
家に妻子を蓄え口に腥膻なまぐさくらい、形は沙門に似て心は層児のごとき輩となっていたのである。
此れ皆家に妻子を蓄へ、口に腥膻なまぐさくらふ、形は沙門に似て、心は屠児の如し。況や其の尤も甚しきものは、聚つて群盗を為し、竊かに銭貨を鋳る。天刑を畏れず、仏律を顧みず。
口に腥膻なまぐさくらい、形は沙門の如く、心は屠児えとりの如しと言われた破戒法師であった。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
平安朝頃の地方政治の甚だしくみだれた時代において、課役を避けんが為に私に僧となり、自ら公民権を放棄した所謂中間法師の亜流の徒が、三善清行の所謂「家に妻子を蓄へ口に腥膻なまぐさくらひ」
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
家に妻子を蓄え口に腥膻なまぐさを喰い、形は沙門に似て心は屠児の如きやからであったであろうが、もちろんその中には、事実上その名の如く出家して、浮浪の群に入ったものも少くなかったに相違ない。
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
したがって、「家に妻子を蓄え口に腥膻なまぐさを喰う」と言われ、「形は沙門の如く心は屠児の如し」と言われた濫僧ろうそう、すなわち河原の者、坂の者、散所の者等は、自然仏縁に遠いものとならざるをえぬ。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)