紀貫之きのつらゆき)” の例文
紀貫之きのつらゆき歌碑うたぶみがある潮明寺ちょうめいじの床下からソロリ……と這いだして、目を光らせ、かがみ腰に、あたりをうかがっている人間がある。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「女のする日記というもの」を書いた紀貫之きのつらゆきも、同じ理由から、その「男らしさ」を失った人間として批難されねばなりませんが、歌人として
「女らしさ」とは何か (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
徳川家康とくがはいへやすかずして家康徳川いへやすとくがはといい、楠正成くすのきまさしげかずして正成楠まさしげくすのきといひ、紀貫之きのつらゆきかずして貫之紀つらゆききといふべきか。これは餘程よほどへんなものであらう。
誤まれる姓名の逆列 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
古今集こきんしゆうえらんだひと四人よにんあるが、そのうちもっとも名高なだかいのは、あの紀貫之きのつらゆきといふひとであります。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
「十二日、雨ふらず(略)奈良志津ならしずより室戸につきぬ」と在るところで、紀貫之きのつらゆきが十日あまりも舟がかりした港であるが、後にそれが室戸港の名で呼ばれ、今では津呂港つろこうの名で呼ばれている。
海神に祈る (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
いちばん有名なのは七曲ななわたの玉の、一名を蟻通ありどおしという話、これは今から千年も昔、紀貫之きのつらゆきの時代よりも前の事とさえ言われている。大きな玉に穴がとおっていて、その穴がなかで七つも曲っている。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
国分村に紀貫之きのつらゆきの邸址を訪ふ。
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
道風は、紀貫之きのつらゆきなどとならんで、当代随一の名筆家といわれて、その道においては、名声ある人だったが、家へたずねてみて驚いたことには、その屋敷のひどい貧乏さであった。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
紀貫之きのつらゆきの甥で、紀史岑ふみみねという、いとも貧しい一朝臣の家へ、再嫁を約してしまった。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)