篤胤あつたね)” の例文
江戸にある平田篤胤あつたねの稿本類がいつ兵火の災にかかるやも知れないと心配し出したのは、伊那の方にある先師没後の門人仲間である。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その三冊というのは、真淵まぶちの評伝と、篤胤あつたねの家庭や生活記録を主として取扱ったものと、ロオデンバッハの『死都ブルウジュ』の訳本とである。
理由は、二人ながら、国学者で、尊王家であったが、忠右衛門は、本居宣長の流れを汲む者であり、左衛門は、平田篤胤あつたねの門下をもって任じている者であり、二人ながら
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
真淵は遠江とほたふみ浜松の新宮の禰宜ねぎ岡部定信の二男で、享保十八年三十七歳で京都に出て、荷田春満の門に入つた。足かけ四年で師の春満は死んだが、平田篤胤あつたね玉襷たまだすきの中で
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
維新は、水戸義公の大日本史編纂へんさんをはじめ、契沖けいちゅう春満あずままろ真淵まぶち宣長のりなが篤胤あつたね、または日本外史の山陽さんようなど、一群の著述家の精神的な啓蒙によって口火を切られたのです。
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
平田篤胤あつたねの御子孫だそうで、もっとも御養子とのことでした。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
平田篤胤あつたね没後の門人が、福島の旦那様によろこばれるかよろこばれないかは言わずと知れたことであって、その地方の関係から言っても
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
前に本居宣長がなかったら、平田篤胤あつたねでも古人の糟粕そうはくをなめて終わったかもしれない。平田篤胤がなければ、平田鉄胤かねたねもない。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
日ごろ忘れがたい先師の言葉として、篤胤あつたねの遺著『しず岩屋いわや』の中に見つけて置いたものも、その時半蔵の胸に浮かんで来た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
思いまして、及ばずながら斡旋あっせんの労を執りたい考えで同道してまいりました。わたしたちは三人とも平田篤胤あつたねの門人です。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
父は平田篤胤あつたねの門人であったというし、維新の際には家を忘れて国事に奔走したというし、飛騨ひだの国にある水無みなし神社の宮司にもなったというし
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
いつでも半蔵が心のさみしいおりには、日ごろ慕っている平田篤胤あつたねの著書を取り出して見るのを癖のようにしていた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
今日はまた、またたくに通り過ぎる。過去こそまことだ——それがおまえ、篤胤あつたね先生のおれに教えてくだすったことさ。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「青山君、篤胤あつたね先生の古史伝を伊那の有志が上木じょうぼくしているように聞いていますが、君もあれには御関係ですかね。」
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ところが、篤胤あつたね先生なぞの考えた過去は生きてる過去です。あすは、あすはッて、みんなあすを待ってるけれど、そんなあすはいつまで待っても来やしません。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
縫助は、先師篤胤あつたねの稿本全部を江戸から伊那の谷の安全地帯に移し、京都にある平田家へその報告までも済まして来て、やっと一安心という帰りの旅の途中にある。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
古代復帰の夢想を抱いて明治維新の成就じょうじゅを期した国学者仲間の動き——平田鉄胤かねたね翁をはじめ、篤胤あつたね没後の門人と言わるる多くの同門の人たちがなしたこと考えたことも
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
店には平田篤胤あつたねの遺著でも取りそろえて置こうというような町人気質かたぎの久兵衛とも違って、その養子はまた染め物屋一方という顔つきの人だ。手も濃いあいの色に染まっている。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)