てい)” の例文
茶山は文化十二年二月某日昧爽に、小川町の阿部ていを発した。友人等は送つて品川の料理店に至つて別を告げた。茶山の留別の詞に
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
秀吉の聚落じゅらくていに、蒲生飛騨守がもうひだのかみ浅野弾正あさのだんじょうなどが寄りあっていたとき、前田家の徳山五兵衛と斎藤刑部さいとうぎょうぶの二人がそこへまかり出て
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御台御迎えの一行が上洛じょうらくした時、一行の宿泊所と定められている六角東洞院ろっかくひがしのどういんの京都の守護武蔵前司源朝雅むさしぜんじみなもとのともまさていへ着いたが、朝雅は一行をねぎらうために酒を出した。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
八坂のていに着くと、泰文は公子と花世をつれ、谷と谷との間に架けられた長い橋廊下をわたり、なぞえのうえにある細殿へ行って、眼の下の墓を見おろしながら酒盛をはじめた。
無月物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
引き続いて一条ていをおたずねすることをしていた。
源氏物語:39 夕霧一 (新字新仮名) / 紫式部(著)
二条のていは、一押しに踏みつぶされた。館中の旧臣は、あらかた降伏した。日野、高岡の二卿も出て、信長に詫びを入れた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弘化四年丁未、二月十六日能久親王京都伏見宮ていに生れさせ給ひ、満宮と名のらせ給ふ。
能久親王年譜 (新字旧仮名) / 森鴎外森林太郎(著)
突然、招状をうけて、諸将は義昭よしあき将軍のていに会合した。評定のの広やかな席いっぱいに、人々は、何事かと列していた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、ときこえもあげず、演習よりもしずかに、いつのまにか義昭の二条のていをとりかこんでしまった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「勝つわけにはゆきません。勝つと思し召して、このていに、防禦をなされたのなら、笑止千万です」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)