瓦町かわらまち)” の例文
水戸家のお下屋敷かどから堀川を左に曲がって、瓦町かわらまちからおかへ上がると小梅横町、お賄い方組屋敷までへは二町足らずの近さでした。
右門捕物帖:30 闇男 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
「ほんとに不思議でございますの。……昨夜あれから参りました、瓦町かわらまちの古家で、気味の悪い老人から、戴いたものでございます」
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
夜ももう五ツ(午後八時)に近いと思うころに、本所なかごう瓦町かわらまちの荒物屋の店障子をあわただしく明けて、ころげ込むようにはいって来た男があった。
半七捕物帳:10 広重と河獺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
家じゅうがらんとして……というと相応に広そうだが、あさくさ御門に近い瓦町かわらまちの露地の奥、そのまた奥の奥というややこしい九尺二間の棟割むねわりである。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
しかし以前瓦町かわらまちに店があった時分から子供の事は一切いっさい母親のお静にまかしたなり、ろくろく顔を見た事もなかった位。朝起きる時分には娘はもう学校に行っている。
雪解 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その頃のことかと思うが、松吉はそういう仲間たちと一しょに瓦町かわらまちの若い小唄の師匠のところにひやかし半分稽古けいこにかよっていたが、そのうちに松吉はその若い小唄の師匠といい仲になった。
花を持てる女 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
あとの三人はおたなの人達と一緒に、バラバラに出掛けるうち、——私は家から使いの者が来て、途中から瓦町かわらまちまで引返し、四半刻しはんとき(三十分)ばかり手間取って来ると、この始末でございました
蔵前を左へ天王町から瓦町かわらまちへ出て、そこの町かどのお料理仕出し魚辰うおたつ、とあかり看板の出ていた一軒へずかずかはいっていくと、やにわにいったものです。
なかごう瓦町かわらまち、その前が細川能登守ほそかわのとのかみ松平越前様まつだいらえちぜんさまの門、どっちもこれがお下屋敷でございまして、右手、源兵衛橋げんべえばしを渡った向うに、黒々と押し黙る木々は、水戸様みとさまの同じくお下屋敷。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「またさっきの悪者どもが盛り返して来ないものでもない、瓦町かわらまちまで送りましょう」
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
以前は浅草あさくさ瓦町かわらまちの電車どおりに商店を構えた玩具がんぐ雑貨輸出問屋の主人であった身が、現在は事もあろうに電話と家屋の売買を周旋するいわゆる千三屋せんみつやの手先とまでなりさがってしまったのだ。
雪解 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
正直な小女は日傘もささずに、金龍山下瓦町かわらまちの家をかけ出して、浅草観音堂の方角へ花川戸の通りを急いで来ると、日よけの扇をひたいにかざした若い男に出逢った。男は笑いながらお熊に声をかけた。
廿九日の牡丹餅 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
今は跡形もありませんが、その頃流行はやった瓦町かわらまち焙烙地蔵ほうろくじぞう様の門前、お百度石の側で、同じ町内の糸屋の娘お駒が、銀簪ぎんかんざしに右の眼玉を突かれて、芸妓奴と同じように、無慙むざんな死に様をしていたのです。
あたり一面の光景は疲れた母親の眼には余りに色彩が強烈すぎるほどであった。お豊は渡場わたしばの方へりかけたけれど、急に恐るる如くくびすを返して、金竜山下きんりゅうざんした日蔭ひかげになった瓦町かわらまちを急いだ。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ある日わたしはいつものように、縄張りの諸家様しょけさまを廻り、合力ごうりきを受け、夕方帰路につきました。鳥にだって寝倉がありますように、乞食にだって巣はございますので。瓦町かわらまちの方へ歩いて行きました。
怪しの者 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)