猪牙ちょき)” の例文
「ああ、そうですか。……六字に神田を出たとして、駕籠ならば小泉町、猪牙ちょきならば厩橋あたり。……ずぶ濡れになって、さぞ、弱っているだろう」
顎十郎捕物帳:14 蕃拉布 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
向う河岸を山谷堀さんやぼりに通う猪牙ちょきの音の断続したのもしばし、やがて向島の土手は太古のような静寂に更けて行きます。
内緒部屋ないしょべやの障子のさんには、絶えず波の影が揺らいでいた。すぐ裏手が、晩には猪牙ちょきの客を迎えるせまい河だった。
春の雁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
といって階段きぎはしにも、締りにも、中台にも、異常があるのではございませんが、南波止場みなみはとばのところの猪牙ちょきに動きがあるようですから、引返して、御殿の方と
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
海老(芝)で生まれて神田で育ち、海老(猪牙ちょき)で行くのは深川通い、海老(花)より他に知る人もなし、と。駄目駄目駄目駄目みんな駄目。落第だよ、こりゃみんな
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
それにはそれまでの稼業柄、すべて猪牙ちょきがゝりに気を軽く、いうことでも歯切がよく、何をさしても決してソツがなかったから、坊主、坊主とだれからも調法がられた。
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
ほんの猪牙ちょきがかりに妾を呼ばれ、涼みの船で逢ったのが、二人の縁のつながりで、妾の方で血道を上げ、追っかけ廻すと恐いかのように、宗さんの方では逃げ廻ったが
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
小唄こうたにも、浮かれ浮かれて大川を、下る猪牙ちょき船影淡く、水にうつろうえり足は、紅の色香もなんじゃやら、エエまあ憎らしいあだ姿、という穏やかでないのがあるとおり
昔の交通機関が猪牙ちょき船で、浅草深川が文化の中心であつた故か、江戸人は川と小舟を好んだ。
日本の釣技 (新字旧仮名) / 佐藤惣之助(著)
室子の家の商売の鼈甲細工が、いちばん繁昌した旧幕の頃、江戸大通だいつうの中に数えられていた室子の家の先代は、この引き堀に自前持ちの猪牙ちょき船を繋いで深川や山谷へ通った。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
猪牙ちょきで行くのは深川通い、八丁堀の仲ノ橋から乗合の荷足にたり舟、「早船・洲崎ゆき」と書いた川岸の小旗が目印、十二、三人の客を待つ間に「出ますよ出ますよ」とベルを鳴らす。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
然らざれば殊更ことさらに風景をゆびさして嘆賞ししくは甚しく驚愕きょうがくするが如きさまをなせり。然るに広重が画図がと中には猪牙ちょきぐ船頭も行先を急がぬらしく、馬上に笠をいただく旅人は疲れて眠れるが如し。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
猪牙ちょきで小便千両も捨てたヤツ
江戸前の釣り (新字新仮名) / 三遊亭金馬(著)
この舟は——これは日本の猪牙ちょきではない、形をよく見給え、西洋のバッテイラ型という舟だ、間違いなく、駒井氏の無名丸から外して逃げ出して来たその舟なのだ、いいかね
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
足どりを辿ると、そこから八丁堀まで歩いて行って、八丁堀の船清という船宿から猪牙ちょきに乗って浜松町一丁目まで行き、佐土原屋という木綿問屋へ入ったということがわかった。
この辺から猪牙ちょきで山谷堀や深川へ遊客が通った時分の名残りの風習だということです。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
屋根船や猪牙ちょきの音を夕闇に響かせて帰りを急ぐ柳橋、舟遊びの通客も多かった。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
夜目にも真っ青い大川が船と人とでぎっちり埋まり、猪牙ちょき、屋根船、屋形船、舟と舟との間を抜け目なく漕いで廻るうろうろ舟、影絵舟まで、花火のたんび、紅緑青紫と塗られていく。
円朝花火 (新字新仮名) / 正岡容(著)
猪牙ちょきを一艘仕立ててもらって、露八はお菊ちゃんと、それに乗った。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大汐に松をかすめて猪牙ちょきとほり
下町歳事記 (新字旧仮名) / 正岡容(著)