物議ぶつぎ)” の例文
玉は心で弟が佳い婦人を得たことを喜んだが、しかし、軽卒なことをしては世間の物議ぶつぎを招く恐れがあるので、それについては心配もしていた。
阿英 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
『そうそう。仁和寺にんなじへゆく日は、もう幾日いくひもないのであろな……』上皇は、ふと、公卿たちのいかめしげな物議ぶつぎを、あらぬ方へ、わされて——
洋人來航するに及んで、物議ぶつぎ紛々ふん/\、東攻西げきして、内訌ないこう嘗てをさまる時なく、終に外國の輕侮けいぶまねくに至る。此れ政令せいれいに出で、天下耳目のぞくする所を異にするが故なり。
松竹は芸術座を買込み約束が成立すると、そのさきがけに明治座へ須磨子を招き、少壮気鋭の旧派の猿之助えんのすけ寿美蔵すみぞう延若えんじゃくたちと一座をさせ、かつてとかく物議ぶつぎたねになった脚本をならべて開場した。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
一時いちじ巴里の好事家中に物議ぶつぎを生じたる事ありしといふ。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その後にまだ、物議ぶつぎもあり、なお種々な浮説が、伊勢長島と、京大坂の間を、虚々実々、伝えられた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし明治の静かな世間では、物議ぶつぎの元になったのだった。一般の通念にある風儀道徳とか、つよい家族連帯の責任などから、義兄の勤務先の左右田銀行や父の周囲にもはばかられたにちがいない。
当然、公卿の中に、物議ぶつぎが起った。紛々ふんぷんたる不平がたかい。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)