父子ふし)” の例文
これはけぬ河内かはちへ越さうとして、身も心も疲れ果て、最早もはや一歩も進むことの出来なくなつた平八郎父子ふしと瀬田、渡辺とである。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
こんどの戦で、かくわれをして幸いせしめたものは、第一に陳珪ちんけい父子ふしの功労である。第二には、韓暹、楊奉の内応の功である。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は隔離の極端として、父子ふし絶縁の状態を想像して見た。さうして其所そこに一種の苦痛をみとめた。けれども、其苦痛は堪え得られない程度のものではなかつた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
梅子に対してはさすがの老先生も全然まるで子供のようで、その父子ふしの間の如何いかにも平穏にして情愛こまかなるを見る時は富岡先生実に別人のようだと誰しも思っていた位。
富岡先生 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
堀の手は島町通しまゝちどほりを西へ御祓筋おはらひすぢまで進んだ。丁度大塩父子ふしひきゐた手が高麗橋に掛かつた時で、橋の上に白旗しらはたが見えた。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ここに最善さいぜんのつとめをなさねばなんじちち勝頼かつよりとの、父子ふしのめぐり会うのぞみはついにむなしいぞ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
此時同勢のうち長持ながもち宰領さいりやうをして来た大工作兵衛がゐたが、首領の詞を伝達せられた時、自分だけはどこまでも大塩父子ふしの供がしたいと云つて居残ゐのこつた。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「姫路の城は、前々よりおもと父子ふし一族の住居すまいではないか。秀吉が入城しては」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大鉄鎚だいてっついは、佐久間右衛門信盛父子ふしへ下った。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
父子ふし邂逅かいこうはむなしく
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
父子ふし邂逅かいこうはむなしく
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)