波多野はたの)” の例文
北は丹波の波多野はたの一族から裏日本の諸豪を誘導し、全日本にわたる鉄のごとき反信長陣の聯合れんごうを一日ましに強めてゆくことであった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
細君は何時もの通り書斎にすわっている彼の前に出て、「あの波多野はたのって御婆おばあさんがとうとうって来ましたよ」
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
波多野はたの中尉が一名の兵卒をつれて、同じく冒険的に生命をとして大阪に飛行し、はじめて東京地方の惨状の報告と、救護その他軍事上の重要命令を第四師団にわたし
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
平家琵琶の検校けんげう藤村性禅しやうぜん氏がまだ生存してゐた頃で、富尾木氏もこのめくら法師が波多野はたの流の最後の人である事はよく知つてゐたので、態々わざ/\宿に招いて平家の一曲を所望する事にめた。
間もなく鎌倉の警察署から、司法主任の波多野はたの警部が部下を連れて到着した。
何者 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
こう二大敵国をめぐって、それに連鎖れんさする山陰の波多野はたの一族や、播磨の別所や、伊丹の荒木村重などの群れが、兀然こつぜんと、いまはその敵性と一環の聯絡とを
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「御常さんて人はその時にあの波多野はたのとかいううちへまた御嫁に行ったんでしょうか」
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
毛利をめぐ衛星えいせいとしては、播州に赤松あかまつ別所べっしょがあり、南部中国には宇喜多うきた、北部の波多野はたの一族などあって、その勢力圏せいりょくけんは、安芸あき周防すおう長門ながと備後びんご備中びっちゅう美作みまさか出雲いずも伯耆ほうき隠岐おき因幡いなば
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八上やかみ城の波多野はたの一族と大善院とは交渉浅くない。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)